マルクの眼

千字一夜

最近のことなど

 

ぼんやりとブログを書く。インド哲学や死の話をしようとする。

死は魅力的だ。タナトスそのものだ。

これは昨日海で拾った猫の骨。

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左上の肩甲骨を見つけて、おやと思って周りを見渡したら骨が散乱していた。おそらく1年くらい前のもので砂の中で風化しとても綺麗だった。

頭骨でも有ればと思ったんだけど、下顎の一部があったので砕けたんだろうな。

死して屍拾うもの。家に骨格標本の1つでも飾ってみたいものだ。骨はそのまま置いてきた。

最近は蕎麦猪口を買い集めている。そう高くないものを8つ。f:id:menono:20160826223329j:image

まだ届いてないものもある。100均にも古伊万里風のこういうものが売っているけど、釉薬がテカテカペカペカしていてダサい。絵が下手。他方、江戸時代の古伊万里はなんというかもう本当に綺麗だ。普段使いの目的で作られているのに丁寧な仕事、柄がよい。年歴を経て古色を帯びた色もよい。

まあすぐ飽きると思うので飽きないうちにわっと集めて鑑賞しようかなと。

ところで、私は大学生のときスチームパンクな世界に憧れていた。が、自室をそう変えるほどの気力がなかった。お金も。

今はスチームパンクな部屋というよりも和洋を上手に織り交ぜた部屋を作りたい。時代錯誤な。重厚な洋風机の書庫室っぽい部屋と床の間や躙口のある茶室風の部屋がうまく調和させられればいいんだけど。

近未来的で世界に開かれた日本はリオオリンピックの閉幕式で椎名林檎はじめ私の好きなアーティストの方々が見せてくれたのでお腹いっぱいだ。

前にツイッターで、NHK椎名林檎の癒着が強まっているので、オリンピックに椎名林檎が起用されるのでは?と言ったことがあった。案の定、NHKルートで椎名林檎に声が掛かったようでまあ全くそんな世界だよな〜と思った次第だ。

あと、Perfumeにも出てほしいけど年齢がなぁと思っていたら、振り付けMIKIKO先生で音楽ヤスタカ、ダンサーは無名の多数という形を見せられて、これは…そういう方法もある…!と思った。あの二人の評価を上げてきたのはPerfumeの頑張りだから実質Perfumeが起用されたのと変わらないと思うし、やっぱりPerfumeは偉大な先駆者だ。

が、東京オリンピックまでの長く短い四年、今辛うじて若手に分類されるアーティストが中堅になる頃。

きゃりぱみゅやPerfume、そもそもヤスタカ自身や椎名林檎・アヤバンビにまた頼れるのかな?

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それ

無人島になにか1つだけしか持っていけないとしたら?」

自分の人生の目標・到達点・ゴールというものがあるとすれば、どんなものなんだろう。

幸せな未来が目標であれば、どこかの地点に達することで果たされるのではなくて、ある時にふと自覚する幸せがゴールなのかもしれない。だとすると、諸行無常の世にあってその幸せが恒久的であることはあり得ないわけで、常に幸せを維持するために多大なる努力と犠牲を払わなくてはいけないのではないだろうか。

そんなことを自覚してしまった時点で、不確定な先のことを思い悩み、足元にある幸せに気づかず、自分の目標が達成された刹那すら知らずに死に向かってしまう。ゴールはゴールでも、サッカーやバスケットボールのゴールのようだ。限りある時間が終わった時、何度ゴールを決めたかで結果を判断するものの、そこには敵も失点も勝ち負けもない。強いて敵を挙げるとするならば自分自身の名誉欲や虚栄心なので、やはり球技とは違うかもしれない。

私がもつ到達点というそれ以上先がない場所のイメージは、昔のゲームにあった世界の果て、遠景の描かれた壁のような場所だ。

壁のようなものはなく、先は虚無、なにもない空間というならそれは死そのものであって、ただ時間に押し流されながら死に向かう運命にある衆生には然るように用意されているので、能動的に目指すものではない。

努力をして辿り着いた到達点にドアがあって、その先には永遠の幸せが待っているというイメージはとても想起しやすいのだけれど、これは全く天国のそれであって、人が人生について考えた時に思い浮べやすい理想の終焉、ハッピーエンドなのだろうか。

永遠の幸せに続くドア、或いは門はいわゆる狭き門で、通るには様々な条件がある。自分でたくさんの条件を設定し、限られた時間でその条件をこなすための努力をする。ドアに辿り着くための努力をすることと、ドアを通るための努力をするのは同じことだ。自身で作った幸せを手に入れるための条件に苦しみ、理想の人生像に押し殺される人もいる。

人生に期待せず、ただ漫然と無気力に生きる。これが一番の生存率を上げる方法かもしれない。

 

元カレ レスト・イン・ピース

高校のクラス会に参加した。

変わんないね〜とか痩せたね〜など、的外れな女子からの評価を受けたり、ソリの合わなかった同級生とソリの合わなかったイジリをして遊んだ。会いたくなければ会わなくていいし、利害関係がなくて気楽なもんだ。社会人になって割り切り感が強くなった。

 

好きだったノンケ、付き合ってたバイなど、少ない恋愛遍歴もとい偏愛歴をほじくり返す顔もあった。元カレは別れてからこの日まで4年ほど音信不通。クラス会で元カレにばったり遭遇☆思わず盛り上がって…みたいな雰囲気はない。「言うなよ」「バレるなよ」という目での牽制を受ける。別の人と話してる時も横顔に痛いほど視線感じてたわ。

暫くすると私の態度に安心したのか、ビール瓶片手に近況報告しあった。元カレの見た目は相変わらず黒髪ヤンキー風なのに、中身は相応におじさん臭くなっていた。

 一時は文字通り隅から隅まで知り合った仲も、時間とともに離れて行ったんだね。あの頃は慣れない同士でよく頑張ったね。感傷。

話の流れからポケモンGOを見せ合って、元カレが女性キャラを使っているのに気づいてドン引きした。バイのくせに一時期女性になりたがってたので、もしかして今でも…と思い「お前なんで女キャラ使ってんの?」と尋ねたら「やっぱ女の尻を追っかけたいなって☆」だそうだ。
そういうことを言って人の反応をチラチラ見てくるところがムカつくんじゃ〜〜!!

「オレは卒業後に連絡とってるのはめのくらいだよ〜」とか周囲に親密アピールしながら顔色を窺ってくるのもムカつくし会話中にやたらご機嫌をとってくるのもムカつくし。今まで疎遠にしてただろ。

こういう相手の反応を見るためのちょっとした試みが好きな人だったのを思い出した。逐一反応するのにも疲れる。うんざりしながら相手をすると身内感が出てしまう。悪循環。

結局周囲に乗せられるまま、元カレ含めた数人の「なかよし」で飲む約束をするはめになった。感傷がぶっ飛んだ。

 

 他の友達と旧交を温められたのは楽しくて、帰って21時すぎに寝た。

翌朝スマホを見ると22時ごろ前カレから着信履歴が。付き合ってた人たちからの接触にゾワつきつつ、何の用だったのか聞けば「イライラしてたから声が聞きたくなった」と。なんなのモテキじゃん私。デスコだ。まぁそこからどうこうなく、ダラダラとLINEなどしている。

 

終わった恋愛は完結した物語として、登場人物はどこかで幸せに生きてくれるのが最も良い。後日談は蛇足。

 

イカホモGO

 

ポケモンGO、さぞかしゲイの間で流行っていることだろう。

ゲイは情報強者かつ最新のものをさらりと使いこなすスタイリッシュでオシャレな存在でいたがるきらいがある。きっとゾンビのように東京をウロウロして、それをさも「全然歩いたり努力してませ〜〜ん」って顔で披露するんだろう。かたや、「いい歳してゲーム(笑)」みたいな勢力も一部いたりして。ポケモンGOをやっているゲイ友とのしがらみはあるけど、流行に流されない自分を演出するために軽〜くポケGO批判してみたり。

これ、全部勝手な想像です。悪意ある妄想。

 

私も例に漏れずポケモンGOをやっている。なんなら職場がポケストップだし、家がジムだ。

仕事場では私の執務室から届く範囲に2つポケストップがあって、敷地内には他にもジムとポケストップがある。すごく恵まれているし、職場はポケGO禁止どころか職員がルアーモジュールを使う始末。20代の職員はみんなポケモンGOをやっているので、気兼ねなく遊べるね。

 

7月下旬から8月は比較的執筆に専念できるので、文書を紐解いたり仕分けたり電子化したり、そんなことをしている。その合間あいまで開いたアプリ画面をチェックしポケストを回す。その繰り返し。これが循環型社会なんだよ。

 

ところで私の住んでいるところは片田舎なので、あまりポケモンが出ない気がする。ポッポとコラッタ、コンパン、ドードーくらいのバリエーションしかないのだ。片田舎の被害妄想であって欲しかったが、一昨日のテレビでコメンテーターが、「そんなにやってないのでレベルは23くらい。レベル23は普通」と言っていたので心がやられた。2日後現在の私がやっと19だ。

 

リリース初日からコツコツ職場でもやっているのにこの仕打ちはない。こんなふざけた話があるか。東京という街が憎い。ちなみに家の周りで私が見た最高レベルは24くらいだったので、やはり片田舎並と言ったところなんだろう。

 

だけどもだけど、おらが町で最大のポケスト保有地である某公園には沢山の人が集まっている。先日深夜にそこへ行くと40人超がウロウロフラフラとしていた。丁度その時間はとあるポケモンが大量に湧いていたので、私もつい乱獲に興じてしまった。せめてうちの近くにもこういう場所があってよかった。

 

その公園、これまでは深夜に誰もいない、たまにジョギングの人が通るくらいの場所。そういう場所が何に使われるかお分かりだろうか。そう、ハッテン場だね。

おらが町で最大のハッテン公園だった場所は、今や真夜中でも子ども連れの親やDQN、おじさんおばさんが集まる一大ポケ猟場と化した。ハッテン場のトロとも言える場所でルアーモジュールが使われているのを見るとすごく笑える。

私が行った日、すごくタイプのイカホモがキョロキョロしてからトイレに入って行ったのだけど、すぐにポケGO勢が大挙して来たので諦めたような顔で帰ってしまった。ズリの実を投げておけばよかったと後悔した。

 

ホモ敗れてポケストあり。ポケモンGOのせいでホモを捕まえることが難しくなっている。

 

 

 

 

深夜一時の防衛本能

久々に風邪をひいてしまい、この5日ほどかなりしんどかった。咳が止まらないので夜も咳で目覚める始末。

この風邪のせいで遊ぶ約束を2つも断ってしまい、仕事も休んだので職場や家人にも迷惑をかけた。なにより自分が苦しかったので反省しきり。よく考えて行動しなければならない。

 

副作用として、人と話したことが本当だったのか夢だったのか分からなくなっている。毎日断続的に15時間くらい寝ていたので、夢の中で人と話した時間の方が長いようだ。カフェで恋愛における正当防衛について誰かと話した気がしたんだけど、どうだろう。

 

自分の生命を守るための手段としての暴力は個人の自衛権として認められるけど、未来の自分の生活を守るための自衛的な行動はどうだろう。リスクを減らし利益を増やすための先手、例えば将来性のない人間関係を切るなど。

非人道的だし計画的な点で悪質性が高いと言えるけど、未来の自分を守る行為と言えば他人がどこまで批難できるのか。暴力が是認されてこれが許されない根拠はない。

 

俗に言う人脈とか繋がりに対しカッコワライみたいな気持ちを持っているし、その対として在る人間関係を切る感覚もあまりよく分からない。唯一大学生の頃にハッキリ切った自覚はある。それを除けば切られたことしかないような気がする。

 

切られればそこまでだし、正直合わない人間の方が多いので合わない人から切ってくれた方がいい。 まぁそうされなくても割とスッと離れていくけど。あ、これが切ってるってことなのか?cut outかfade outかの違いは結構心持ちが違うんだけどな。こうやって加害は忘れて被害者意識だけが残っていくのかもしれない。

 

とにかく必要な荷物だけ持って逃げたい気持ちがある。新しい場所で今持っているものよりいいものを揃えたい。そのための逃避だ。よく考えて行動しなければならない。

 

 

死者は二度死ぬ

 

ある晩のこと、家で寝ていると遠くから砂利を踏む足音が聞こえてきた。段々とこちらに近づいてくる足音は聞き覚えのある、父の友人で優しいおじさんのものだ。仕事用に履いている長靴独特の足音は聞き間違えるはずもなく、ついに家の前までやってきた。時計を見れば真夜中で、急ぎの用があるのなら早く家に入ってくればいいのに、と思い声を待ったが、その後、物音はしなかった。

翌朝のテレビのニュースで、死者のでる事故があり、その一人がおじさんだと知った。事故があったのは足音が聞こえたのと同じ時間だったので、大層おどろいた。

後日、同刻に別の部屋で寝ていた両親と話したところ、二人とも足音を聞いているといい、わざわざ挨拶にくるとは亡くなってまで律儀な人だったね、などと話した。

 

これは先日、職場で私がきいた話だ。一緒に聞いていた私より少し年長の女性は、この話は怖いと言った。話し手の女性はその反応に驚いたそうで、地元東北に住んでいた50年も昔の話だが、自分にとっては日常の一つで、些か不思議な体験と思い子供心に記憶していた。怖いと言われるとは思わなかった、と言っていた。

 

 神、妖怪、霊魂と、順々にその力を現すことはなくなっていく。中でも最も身近な存在であった親族や友人の霊魂さえも、夢枕や家の中に現れると恐れられ怖がられる。オカルトブームによって死者の魂がこの世に残って姿を見せることは異常だと決められてしまってより後は、善良な死者は姿を現すことを諦めているように思う。死後の魂は生前の意識に基づいて行動するはずで、この世に未練や恨みがある霊魂だけが姿を現す、という偏見をもって死んだ霊が姿を現そうと思うはずもない。

 

心ある人の多かった時代は超常の伝えんとすることの意図は正しく汲まれ、死後現れることへ有り難さや温かさすら感じていたはずなのに、だ。

 

洋の東西や特定の信仰、教義に関わらず、そういった霊的直感力や所謂シックスセンスを持っている、というか自分の直感力を理解している人間は、文字通りセンスがいい。服や家、絵や音楽、デザイン、その他全てにおいて。

逆に言えば、そういった直感力を軽視、無視した人の汚さ。お金のあるなしではなく、単純に自分自身や世界への理解がないことからくる汚さ。目は見えているのに何も目に入っていない。ページをめくって文字を見ているのに何も読んでいない人。そんな人が増えている。

 

渋谷→原宿

 

渋ギャルの栄耀一睡のうちにして、109跡は一里こなたにあり。センター街は田野になりて、ハチ公像のみ形を残す。

 

まづ代々木公園にのぼれば、NHKより流るる大河あり。数多の長寿番組は、年歴を経て偉大なマンネリズムに落ち入る。

 

きゃりぱみゅらが原宿は、りゅうちぇるを出しておネェ系ノンケを増やすと見えたり。さても読モすぐってこの街にこもり、個性派流行りのチョキチョキに出る。

 

ギャル破れて山河あり、egg休刊して青文字系売れたりと、マジ切なくて時の移るまで涙を落とし侍りぬ。

 

パラパラや ギャルサーどもが 夢の跡


カラコンと 黒肌映ゆる 白毛かな  ギャル