マルクの眼

千字一夜

感傷録 221127

 

◎アプリ管理

スマホの見過ぎ/スマホ依存によって記憶力の低下や意識散漫が起きるという。それは事実だろう。身をもって知っているから。ならいっそ、全ての記憶/記録をスマートフォン上に残して、クラウドに保存しようと思った。

手始めに、在庫管理アプリ的なものをスマホに入れ、家にある郷土玩具やら骨董を登録した。古書籍は始めたら一仕事なので、休日一つを潰す覚悟がまだ出来ない。

文章やリンクも登録できるので、今までメモ帳に書き留めていたレシピもこちらに統合しようと思う。

ゆくゆくは記憶力を失い、感性で気に入ったものを選別して入力するだけの機械になるだろう、私は。

 

◎日記

電脳化計画の一つとして、その日あった出来事を時系列で記録する、いわゆる日記を付けようかと思ったのだが、それにどのくらい意味があるのか、果たして自分は後で見返すのだろうか…?と、始めないための消極的な理由ばかり考えてしまう。

じゃあブログで公開するか?でも仕事に関することは何も書けなくなる。それに「日記なんて他者に見せるものじゃない」と心無い人は言うだろう。

でも、そもそも日記とはその名の通り日々の記録であって、子孫に自分の経験や感覚を伝えることを目的として記されるものだ。御堂関白記然り、小右記然り、紫式部日記然り。平安後期の貴族は、祖先の日記のある/なしが家の格や出世に影響したほどだった。でも子孫ができる見込みはない。それはさておき…。

それほど波風のない人生かつ最近は誰に会って何したということをSNSに書くことさえ躊躇われるので、そんな情報の抜け落ちた面白くもない日記を公開することはないだろう。

強く心が動いた時は短歌を詠み、長文が書きたい時はブログにてお知らせします。

 

◎交換日記

友人と交換日記ブログをしていた。もう、過去形である。当初から、(これは続かないな…)と予感めいたものを感じていた。ほら、案の定である。

私のターンでは終わらなかったのは幸いだ。向こうが書かないまま終わった。私には何の責任もないと胸を張って言える。先方のそういう気遣いかもしれない。いや、嘘です。

 

Twitter

最近Twitterが見づらくなってきたし、いつ何があるか分からないので、ブログだけでも稼働できるようにしておきたい。ツイートの頻度は落ちているとはいえ、ほぼ日課になっている短文投稿ができなくなるのは恐ろしい。

Twitterを見るのやめたいと思ったこともあったのに、Twitter自身がTwitter離れを促してくれるとは皮肉なものだ。最近は謎にフォロワーが増えたのだが、いいねしてくれるのはいつメンだけ。さすがツイッター・ファミリー。みんなズッ友だよ。

ああ卒業しても友達ね

それは嘘では無いけれど

でも過ぎる季節に流されて

逢えないことも知っている