マルクの眼

千字一夜

太陽の末裔

 

先日、必要に迫られ修行に出た。

 

一週間もない短い合宿だったけど、数十人と同じ釜の飯を食って同じ風呂に入って同じ苦痛に耐えて、なにやかにやで友達が増えた。

年齢の近い人と過ごすことが少ないので、この非日常には感謝していたんだけど、それにしてもいい人が多いな、と思った。

お仕事の延長にある人間関係なので純粋な友達付き合いとも言い難いけど、口で説明できない心地よさとか安心感がある。

 

そういう話を高校の友達にしたら、「別業界で生きてる身としてはそっちには嫌なやつとかいないでほしいわ〜」と。

たしかにな。そうなんだけど。

 

そもそも嫌なやつでいるメリットってなんだ。私は打算的だし腹黒だけど、努めて嫌なやつに見せようとは思わないし、むしろ嫌いな相手にも好かれたい。面倒は嫌だ。

高校のときに初期仏教の教えに触れて、「人間付き合いを必要最小限以下にして心穏やかに生きる」という考え方を知ったんだけど、実際問題として人と関わらないと生きづらいし体面も気になる。考えた結果、上っ面を磨いて人と深く関わらないで生きている今。

 

嫌なやつとして生きながら人間と関わり続けるメンタルの強さ、全く分からない。というか、理解できるほどの時間を嫌なやつと現実で過ごしてないかも。

SNSまとめサイトみたいなネット空間とか、そこからまんま抜け出して来たような人間とか、そんなところでしか見ない。

深く関わるつもりがないので相手が対面で隠している悪意をわざわざ知る意味もないし、裏で悪意を垂れていようと現実に及ばなければ関係ないね。

 

ある程度お互いに敬意を払える繋がりが基礎にあり、SNSで繋がってないのが良好な付き合いの礎になりそう、というお話。

「親しき中にも礼儀あり」って昔の人はとっくに知ってたんだけどね。

 

あー早く遊びたい。