マルクの眼

千字一夜

長い夢

寒村に住んでいて辛いのは春のこの時期だ。少しずつ伸びていく日照時間に誘われて、骨だけになった木々が、新たな緑の衣を纏っていく。太古から未来永劫そこに在るかのように思われた分厚い雪も、生命の息吹に身を溶かし土を汚いぬかるみに変える。山や生き物が再生ボタンを押されたように動き出す。またこの季節だ。

ここを出ようか、なんども考えた。

ニュースといえば「町に鹿が出た」くらいのこの場所では、テレビやインターネットで知る情報はただの情報であり現実ではない。言ってみれば、ヴァンパイアとパリピはここでは同じ架空の存在なのだ。或いはどちらも現実かもしれない。目で見たことが事実、見ていないものが虚構ならば、ここに住む僕にとって大抵のものは虚構だ。「人は死ぬ」みんなが言う。僕も人の死は見たことがある。昨年81で祖母が亡くなったときは、遺体の冷たさと硬さに驚いた。だけど、どうだ。自分が死ぬところは誰も見たことがない。一番存在が確かな自分の死を見たことがないのに、「人は死ぬ」なんて疑いようのない真実のように言う。現実主義のようで、神を見たことがない人が「神はいる」と言うのと変わらない。多くが身近に存在しない、虚構の実在を信じるしかない僕は、いつもそんなことを考える。昔からそうだ。

こってりネギチャーシュー麺を頼んだのに、食べているラーメンにはネギがのっていない。セルフサービスの水を汲みにいくフリをして券売機に並んだ文字列を確認する。こってりラーメン、こってりネギラーメン、こってりチャーシュー麺、辛味こってりネギチャーシュー麺。僕の買った900円の食券はこってりチャーシュー麺のそれだった。その並びならネギがのっていると思ってもおかしくないだろ、と一人憤ってみるが、この辺りに一軒しかないラーメン屋の店主と気まずくなりたくはない。店主は僕の同級生の父親の親友だとかで、学生の頃は部活後、件の同級生に誘われて来店し、煮卵をサービスしてもらった。店主は僕の顔なんてとっくに忘れているだろうが、この辺鄙な場所にまあまあ食えるラーメン屋があるだけでもありがたい。よく見れば、チャーシューの上にお気持ち程度のネギも乗っているではないか。うんうん。結局、気持ち次第だ。

神棚の隣に据えられたブラウン管のテレビは、黒い画面に店内を虚ろに映している。この村だって、地上デジタルに移行したのはずいぶん前だ。人間は自分の得にならないことはしない。店主だって自分の立つ厨房から見えない地デジのテレビなぞ買いたくないだろう。それこそ虚無を買うようなものだ。それを分かっているから、常連客も指摘はしない。

ガララッ。アルミサッシの扉が開く。入ってきたのは鹿だ。入って来るなり、ブラウン管のテレビを見つけて震え出した。白い顔を怒りに染めて激しい手振りで抗議を伝えている。「らっしゃーい。注文は券売機でー」ろくに客を見ていない店主がトンチンカンな言葉をかける。「地デジカ…」僕は呟いた。そうか、今朝のニュースで鹿が出たと言っていたのはこれだったんだ。意思が伝わらずもどかしいのか、地デジカはヒートアップして今にも店主に襲い掛かりそうな勢いだ。「大丈夫!あのテレビ、地デジチューナーがついてるから!」僕は慌てて立ち上がって、口からでまかせの嘘をつく。すると、地デジカの顔はみるみる白くなった。心なしか微笑んでいるようだ。満足したように頷くと、地デジカは店を出て行った。ガララッ。扉がしまる。「なんだ、あいつ地デジカかよ」振り返ってそう呟いた店主は、「お兄ちゃん、たか坊のお友達だろ?悪かったな。これ、いつものサービスね」そう言って、麺もチャーシューもなくなったこってりスープの中に煮卵を投げ入れた。冷めて脂が固まりはじめたスープに沈む煮卵を見て、僕はこの村を出ようと思った。