マルクの眼

千字一夜

新訳山月記

 

同性愛者の遼介は博学多才、中学二年次 県美術コンクールで入賞、高校は地方の進学校に入学し吹奏楽に励んだが、性格は傲慢、自尊心が強く、サラリーマンで人生を終えることを潔しとしなかった。芸術の道へ進むと決めた後は、都内の有名美術大学へ進学し、ひたすら制作に励んだ。サラリーマンとなって長く頭を俗悪な上司の前に垂れるよりは、芸術家として自由で洒落た生活を送ろうとしたのである。

しかし美大での成果はなかなか揚がらず、卒業は目の前に迫っている。遼介は漸く焦燥に駆られてきた。この頃からその容貌も険しくなり、肉落ち骨秀で、目付きのみ徒らにギョロギョロとして、かつて北上尾で生活した頃の神童の美少年の面影は、何処にも求めようもない。数回の留年の後、周囲の圧力に堪えず、生活のために遂に節を屈してサービス業に就職することになった。一方、これは、己の才能に半ば絶望したためでもある。高校の同窓は都内で就職し遥か高所得となり、彼が昔、俗悪だと歯牙にもかけなかった同性愛者から同衾を拒まれることが、往年の秀才遼介のプライドをいかに傷つけたかは、想像に難くない。彼は東京を楽しまず、狂悖の性はいよいよ抑え難くなった。

一年の後、研修で大阪に出、梅田近くのホテルに泊まった時、遂に発狂した。或る夜半、急に顔色を変えて寝床から起き上がると、何か訳の分からぬことを叫びつつそのまま廊下へ飛び出して、闇の中へ駆け出した。彼は二度と戻って来なかった。友人がツイッターで情報を呼びかけても、何の手掛かりもない。その後、遼介がどうなったのかを知る者は、誰もなかった。

 

翌年、同性愛者、文京区の悠太という者、友達と新宿で飲み過ぎ、行き着いたハッテン場に宿った。薄暗い店内に出発しようとしたところ、受付の若者の言うことに、今日は空いているから、あまりいい人がいないかもですね、と。悠太は若者の言わんとすることを悟ったが、ここへは寝に来ただけだからと、色目を振り払い、迷路に足を踏み入れた。

僅かな照明を頼りに空いた個室を探していった時、果たして一人の男が暗闇から手を伸ばした。男は二の腕を掴んだが、振り返った悠太の顔を見て、忽ち身を翻して個室の中に隠れた。個室の中からくぐもった声で「あぶないところだった」と繰り返し呟くのが聞こえた。その声に悠太は聞き憶えがあった。不愉快の中にも、彼は咄嗟に思い当たって、叫んだ。「その声は、我が友 遼介ではないか?」悠太は遼介と同じ頃に東京で暮らし始め、友人の少なかった遼介にとっては、数少ない親しいゲイ友であった。温和な悠太の性格が、気難しい遼介の性情と衝突しなかったためであろう。

個室の中からは暫く返事が無かった。店内のBGMが虚しく響くばかりである。ややあって、低い声が答えた。「いかにも自分は北上尾の遼介である」と。

悠太は酔いも忘れ、個室に入って影に近づき、懐かしげに旧友に話しかけた。そして、なぜ顔を見せてくれないのかと問うた。遼介の声が答えて言う。自分は今や異形の身となっている。どうしてモテ筋の友の前にあさましい姿を晒せようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に嫌悪の情を起こさせるに決まっているからだ。しかし、今、図らずも友に遇うことを得て、遠慮の気持ちをも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な外見を厭わず、かつて君の友遼介であったこの自分と話を交えてくれないか。

後で考えれば不思議なことだったが、その時、悠太は、この偶然の再会を実に素直に受け入れて、少しも怪しもうとしなかった。酔いの覚めた彼は、入り口の傍に座って、見えざる声と対談した。都の噂、フォロワーの消息、悠太の現在の生活、それに対する遼介の祝辞。20代に親しかった者同士の、あの隔てのない語調でそれらが語られた後、悠太は、遼介がどうして失踪に至ったかを訊ねた。薄闇の中の声は次のように語った。

今から一年程前、自分が社員研修で梅田あたりに泊まった夜のこと、MNJで出会った男と致してから、ふと眼を覚ますと、誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中から頻りに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。 無我夢中に駆けて行く中に、いつしかあたりが赤くなり、しかも、知らぬ間に自分は左右の手を掴まれていた。何かが身体中を押さえつけるような感じで、何処かへと運ばれて行った。気がつくと、手足をベッドに拘束されているらしい。少し明るくなってから、首を動かし辺りを見ると、病院に入れられていた。

自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然とした。そうして懼れた。両親を泣かせ、警察の世話になったのだと知って、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。何かも分らずに押付けられたモノを大人しく摂取して、理由も分らずに収監されるのが、我々ホモのさだめだ。

退院日、自分は直ぐに死を想うた。しかし、その時、眼の前で二人の男が公園の便所に入るのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の手は体液に塗れ、あたりにはちり紙が散らばっていた。これが異常動物としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、Instagramも更新できれば、複雑な思考にも堪え得るし、音楽やアートを楽しむことも出来る。その人間の心で、異常動物としての己の獣欲のあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情けなく、恐しく、憤おろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうしてクソホモなどになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己はどうして以前、健全だったのかと考えていた。 これは恐しいことだ。今少し経てば、己の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えて了うだろう。ちょうど、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹のホモとして踊り狂い、今日のように街で君と出会っても友と認めることなく、君で抜きまくって何の咎も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切なく思っているだろう!己の人間らしい倫理のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じクソホモに成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了う前に、一つ頼んで置きたいことがある。セックスしてるところ見せてください!

 

 

失われていくもの

 

古く土葬の風習は全国にあり、薪など燃し木の入手し難く、また高価であった地域に於いては火葬よりも深く暮らしに根付いていた。火葬場の本格的な普及は戦後であり、都市部の人口増加に対応してのことである。加えて、住民の退去した被差別部落跡地の利用を巡る施策が背景の一部にあったことも記憶に留めておくべきであろう。

土葬と一口に言っても、地方によってその差異は大きい。弥生時代の甕棺が如き壺、あるいは深い木桶に足を折った胎児の姿勢で埋められることもあれば、直接土へ仰向けに寝かされることもあった。

島根県の某地方では、里に近き山の麓に仮墓地があり、人死が出れば先ずそこへ埋葬した。そして一年後に墓を掘り返し、肉が落ち白骨となった骸を親族で洗い清め、山奥にある先祖代々の本墓(ホンバカ)に埋葬し直す。これを洗骨、改葬などと称した。奄美諸島や沖縄にも見られた習俗だという。これの意味するところは、衰え、死に、腐る、か弱き不浄の肉体を脱ぎ捨て、清らかな御霊として祖霊の一柱に加え、永く子孫と地域を守護せしめんとする古い祖霊信仰である。

殊に、深山には豊穣を齎し給う祖霊神の宿るという。武田節の一節「祖霊坐しますこの山河」ではないが、春の雪解けとともに山から川を伝って田畑に到り、里に実りを運ぶ神の存在は往古より広く信じられたことである。後に天狗や大大坊(ダイダラボウ・デエダラボッチ)に変容した恐ろしき山の神々も、かつてはこの祖霊の一柱であった。

アイヌの信仰儀礼に「イオマンテ」がある。平たく言えば、動物の姿で現世に降臨したカムイ(神霊)からその恵み(毛皮・肉)を頂戴し、丁重なる感謝を捧げて天上界へ送り還す儀式である。こうして満足した神の再臨を仰ぐのだ。狩った動物の肉や毛皮を無駄にすると、カムイは仮の姿を捨てられず地上に囚われ、悪神となって人々を祟るのだという。

生身の肉体を脱ぎ捨て、恵みを齎す聖なる霊体へ昇華する儀式という点で、イオマンテは洗骨・改葬の類例といえる。

さて、話を身近なところへ移そう。

私の住む土地の古老が曰うことには、この地方に於いても昔は土葬が行われ、昭和20年代半ばに失くなったそうだ。それまで死人が出れば親族・地縁・隣組・村の若衆が墓穴を掘り、葬列には棺桶を担いだものだった。この老人は日蓮宗寺院の檀家である。昭和初期の葬送儀礼に宗派間でどの程度の差異があったかは不明だが、この話に三つの見るべき点がある。

Ⅰ.葬列で「チン・ドン・ジャーン」という"鳴り物"があった。

鼓鈸三通(くはつさんつう)といい、太鼓やシンバルのような三種の打楽器を、僧侶あるいは参列者が打ち鳴らすものだ。

葬儀司会者のための曹洞宗解説「鼓鈸三通(くはつさんつう)」について - YouTube

魔除けとも仏の徳を讃える音楽ともいわれる。

Ⅱ.仮面を着けた四人の男が棺桶の前後を行進していた。

棺桶の前に二人、後ろに二人がついた。仮面はそれぞれ異なる化け物の顔で、横に長いもの、縦に長いもの、鳥のように口が突き出たものなどがあったという(一枚の容貌は古老が失念)。墓地に着き埋葬が済むと、この仮面は土饅頭の周りに立て、死体を守る魔除けとした。

Ⅲ.墓地からの帰りは行きと違う道を通り、途中、ワラ縄でできた輪っかを路傍に捨てた。

このワラ縄の輪は金剛草履(コンゴゾーリ)といい、この地域特有の習俗として既に調査がなされている。墓地や火葬場への行きと帰りで道を変え草履を捨て、悪いものが付いてこないようにする慣習は全国にあるが、早いうちに草履が廃れ下駄あるいは靴の文化となったために、金剛草履という簡易的な草履を以って履物を捨てる習俗を維持したものか。

前二つは死者を守るもの、三つ目は生者を守るものと性格が異なるが、どれも葬送に寄って来る"魔"の存在を仮定し、その"魔"を遠ざけようとしている。"魔"について考える時、生者の対策が具体性を持っていることに気づく。護符や塩のような神仏の利益・加護に基づく漠然としたものではない。Ⅰ、Ⅱから思い浮かぶのは野生動物だ。死体に惹かれてやってくる動物を大きな音と化け物の仮面で脅し追い払う知恵が長い年月のうちに形骸化し、儀礼として定着していったものか。

Ⅲは金剛草履こそ地域固有の習俗だが、行き帰りの道を変えたり履物を捨てるといったことは現代の葬儀でも行われている。葬儀社の説明では、墓地・火葬場にいる悪いものや故人が寂しくて尾けて来るので、道を変え足跡を変え、追跡を巻くのだという。しかし、故人や葬場を彷徨う霊魂が参列者に憑いてくるならまだしも、やや遅れて足跡を辿ってくるだろうか。草履を捨てる事にも別の合理的な意味があったのだろう。

草履を捨てて追っ手から逃れる行為に、ある伝承が思い出される。

かつてこの国に生息していたニホンオオカミ(ヤマイヌ)の性質は臆病で慎重、人を襲うことは滅多になかった。大抵は暗い山道を歩く人の後をつけ、自分の縄張りから出て行くのを見届けるだけだった。この習性を「送り犬・送り狼」と呼ぶ。だが、弱っていると判断されれば忽ち襲われたともいう。狼の追跡は家まで及ぶことがあったが、そんな時は「見送り御苦労」などと声を掛けて、食べ物や塩を放ってやる。すると狼はそれを咥えて山へ帰るのだ。やらないと、狼は一晩中家の周りを彷徨き、翌朝には戸外で死んだ馬や鶏が見つかったという。

送り狼に与えるのは食べ物だけではない。それが草履である。理由は不明ながら、家までついてきた狼にそれまで履いていた草履を放ると、それを咥えて満足したように去って行くというのだ。熊や狐など他の野生動物には見られない行動である。

この性質により、墓場からの追跡者を狼に比定できる。狼が死体の周りを飛び跳ねたり死体にマーキングする姿が江戸時代に観察されていることも、彼らが死体に執着する獣であった傍証となろう。死体目当てで墓場へやってきた狼が更なる獲物を得ようと足跡を追跡してきた場合の備えとして、途中に草履を捨て置いたのだろう。

狼の近縁種ジャッカルも墓地を彷徨くところをよく観察されたらしい。エジプトではその姿を「死者を守護している」と解釈され、冥府の神アヌビスとして信仰されていた。

日本にも神の眷属とされる生き物がいる。稲荷の狐、春日・鹿島の鹿、熊野の烏、伊勢の鶏、山王・日枝の猿、天神の牛、松尾の亀、三輪山・弁天の蛇、御嶽・三峰の山犬などである。中でも蛇と山犬は別格で、神の使いでありながらそれ自身も神とされた。山犬の神は「大口真神」と称される。耳まで裂けた口に咬まれることを恐れ、その存在を畏んだ昔の人々の心情が垣間見える名だ。先にニホンオオカミの性質を臆病で慎重と述べたが、これは幕末から明治初頭の絶滅直前の姿であって、中世から性質の荒い個体が討伐されていった結果、おとなしい狼が生き残ったとも言われている。古代の人々にとって、狼は恐怖そのものだったのだろう。

日本人の"咬むもの"への恐怖を物語る例がある。柳田國男は「化け物を指す語」として東北地方を中心に見られる、モウ・モウコ・モッコ・モンモ・モモンガーと、西日本に見られるガゴジ・ガンゴ・ガンゴジ・ガモ・ガガモ・ガモージーを同じ一語からの派生と断じた。それは化け物が人の前に現れる時に発する声「咬もうぞ」だという。アクセントの違いで「モウ」が強調された東日本と、カがガに転じた「ガモ」の西日本に分かれたという。柳田はその言い回しから語の発生を中世以前に求める。現代の言語学会から見ればこの語源説に異論もあろうが、妖怪や化け物に古代の神の零落したものが多く存在することを踏まえると、大口真神など獣身の神が神性を失った姿としての「カモウゾ」は妥当である。人語を操る点に物言わぬ魑魅魍魎よりも高位の神であった痕跡が僅かに残されたのだろう。

自然崇拝の多神教では、神は性格の善悪を問われない。その超人的な力への畏怖が信仰の根源を成しているのだ。逆説的に、"大神"が"魔"や"妖怪"に落ちぶれたのは、狼から荒々しい性格が失われ、恐怖の対象でなくなっていったことと無関係ではあるまい。

今日伝わっているニホンオオカミの民話は、その生き物の生態を知るのに充分とは言い難い。今後は日本各地に残る古い信仰儀礼から狼の痕跡を見出し、その一つ一つを掬い上げて生物学的アプローチをとって更なる生態の解明を行うことが求められる。

 

 

 

流されていくこと

街の灯りが綺麗なのは、人の命を燃やしているからだと言う。言ったのは私だ。

 

"何気ない日常"という言葉で括られない人生のうちの貴重な1日をただ無為に過ごすことに罪悪感を覚えられるのは我々の感性が人工知能より勝れている点だろうか。

 

流転しなければならない万物も諸行無常な物質世界も私たちにとってはただ一時の気の迷いにも似た経験に過ぎず、その荘厳な流れによって渦巻き逆立てられ発生せざるを得なかった力を感情と呼ぶならただ無為に過ごす日々に心を弄ばれるのも必定と言える。流される笹舟か立ち止まる水車か。全て法則に従って移ろい続けるエネルギーが私たちの身をいつか壊すとしても私たちは絶えず行くその流れを受け入れ砕けわれても末に会うことを願いながらその日を待つしかない。

 

台風が去った翌日の朝、まだ落ち葉や枝などがびちょびちょと道路を埋め尽くし水の匂いが立ち込めるその中を神聖な気持ちで歩いたその時、等しく私たちは祝福を受けている。

 

時に燃え、流れ、回り、刺さる、目に見えないエネルギーに私たちが意味や理由を問うことの意義をこそ私は問う。

 

 

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また何者かになるということ

 

「何者にもなれなかった」と言われる。私もそう思う。別の見方をすれば、私は私になってしまった。そうとも言える。「何者かになりたい」は自分ではない何者かになって我を苛む恐怖や焦燥から我を救いたまえと願う祈り。かの木村カエラは言いました。『自分らしくいるのが怖いなら 誰かのフリしたっていいじゃない‼︎』。パロディが好きで誰か・何かしらの文体を真似る事に固執する私も或いは自分らしくいるのが怖いのやも知れぬが、そのパロディの中に潜む自我や自己主張こそが己の本質であって、模倣しきれず溢れる凡庸の泉に足を浸しながら水面に映る自分を見つめている。

「何者にもなれなかった」の前提となる欲求、「何者かになりたい」の"何者か"とは何者なのか。自分以下の社会的弱者ではない。ならば平均的な、平々凡々とした人間か、といえばそうでもない。大抵"特別な肩書きを持った人"が"何者か"である。かの中田ヤスタカは言いました。『ねぇ みんなが 言う「普通」ってさ なんだかんだっで 実際はたぶん 真ん中じゃなく 理想にちかい だけど 普通じゃ まだもの足りないの』。「特別な人間になりたい」をマイルドに、社会に受け入れられる表現に直すと「何者かになりたい」になる。そうやって自分の理想像を濁らせて、また、そうなれなかった時にかく恥を最小限に止めようとして、「羨望を集めたい」「チヤホヤされたい」という実に凡愚的欲求を哲学めかして抱き、結果できあがるのが「自称何者にもなれなかった人間」だ。かのサカナクション山口一郎は言いました。『好きな服はなんですか?好きな本は?好きな食べ物は何?そう そんな物差しを持ち合わせてる僕は凡人だ』。山口一郎ですら凡人で私たちが何になれようか。

山月記の李徴が語る『我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心』とは、「己は何者かになれる」と信じながら、才能不足を自覚することを恐れ、何者かになる努力を真に行わない魂だ。私は私は私は何者になった何者にもなれなかった何者だ何者だ何者だと繰り返し自問自答するお前は逃れようもなくお前だ。かの仏陀は言いました。『他人のしたこと、しなかったことを見るな。ただ自分のしたこと、しなかったことだけを見よ。』

相対で見れば、"何者か"と呼べるのはごく一部の頂点。本来、我々は皆、絶対的に"己"であり、それは"何者か"である。問われるべきは"何をする何者か"であって、その肩書きや地位ではない。

 

 

"麺屋 久佐磨 -kusama-" 本日開店

 

 

本日、私の終生の念願であった"麺屋 久佐磨-kusama- "を開店し、みなさまにラーメンを味わっていただきたいという私の心からの希望が達せられました。これは私の生涯に於ける最大の喜びであります。

私の人生はラーメンによって開かれました。私はラーメンを食べることに、スープの奥深い輝きに、深く打たれ、心を打たれ、食と生命の深い交わりの中で、幼かりし頃より私を毎日おそってくる死への憧憬、最愛なる人類に対する私の限りない畏敬の念とを抱きながら、世界のあらゆる所で闘い、自分の人生をラーメンに捧げてきました。私は人生をラーメンの求道の中に置いて、生命の尊厳に対する深い憧れ、人類の素晴らしさが初めて現れた。今この時にも私の人生は始まっているのです。

私は、私のラーメンのスープの一滴、メンマの一口でも、ラーメンを愛するみなさまの中に残したい、新しいラーメンの真髄を見つけたい。すべての人類に捧げる私の心の底からの敬意と愛情、調理への意欲と美食への希望に対する私の情熱を、みなさまに見て、香って、味わっていただければ、これに勝る喜びはありません。そして、私のラーメンを味わった若い人たちに、私を乗り越え、不滅の志をもって高く高く、宇宙の果てまでも、最高のラーメンを追求して貰いたい。ラーメンによって救われ、死の憂鬱の影を振り捨てて、心からスープと麺への賛美を歌わんとする、私の生きて来た道をひとつでも見つけていただければ、本当に嬉しい。

ラーメンは素晴らしい。私は自分のラーメンの力を信じて、何十年も闘ってきました。今も世界には戦争や飢餓、貧困、人間に対する沢山の憎しみや傷跡が絶えません。私はラーメンの力、愛の力をもって、世界に平和と美食の素晴らしさを伝えたい。全てのかがやく生命に、私の精魂こめた温かいラーメンをぜひ食べて欲しい。

さあ、ラーメンは無限だ。もっと独創的なラーメンを沢山作りたい。もっと時間が欲しい。私は生きたい。無限の生と死の輝きをもって、命の限り、五徳の炎が消える終わりの日まで、私はラーメンを作り続けたい。その日まで、あなたたちの志をもって私を鼓舞していただきたい。私が死んだあともみなさま、どうぞ私のラーメンを愛してほしい。私の愛するこの店を、是非みなさまの最大の愛をもって一生愛して頂きたいと思っております。よろしくお願い致します。

                                平成29年11月7日  店主 謹白

 

メニュー表(価格は変動する場合があります)

・華やいだ幸福の夢 ¥680

・ネギ華やいだ幸福の夢 ¥730

・チャーシュー華やいだ幸福の夢 ¥830

・ネギチャーシュー華やいだ幸福の夢 ¥880

・憂える我が心 ¥730

・ネギ憂える我が心 ¥780

・チャーシュー憂える我が心 ¥830

・ネギチャーシュー憂える我が心 ¥930

・辛味憂える我が心 ¥830

トッピング

・ネギ ¥50

・メンマ ¥50

・チャーシュー(バラ2枚) ¥100

・チャーシュー(ロース2枚) ¥120

・わたしの死 ¥100

単品

・永劫のかがやきを持った二つのまなこ(6ヶ) ¥250

・永劫のかがやきを持った二つのまなこ(10ヶ) ¥320

・野菜永劫のかがやきを持った二つのまなこ(6ヶ) ¥300

・野菜永劫のかがやきを持った二つのまなこ(10ヶ) ¥380

・ネギチャー丼 ¥150

 

悪意のあるコンテンツとしてのブログ

 

・歌

仕事でカラオケをした。年の離れた人達の前で歌いたくない!好きな歌を知られたくない!逃げたい!と思っていたのだけど、「有楽町で逢いましょう」という持ち歌があるのを思い出して歌ってみたら、「ビックリ隠し芸だわね」とおばさん役員に言われるくらい評判がよかった。キーが低くて歌いやすいし老人受けばっちりな曲で本当に助かった。フランク永井に感謝してる。永井、サンキュな!彼氏と初めて会ったのが有楽町だったから記念に覚えたんだけどね。彼氏ができためのくるまはこうやって積極的にノロケていくからヨロシクな。

 

・罰

上記のような苦労話に見せかけた自慢やノロケ話をすると私の文章の粗を探すことにお熱な方が自律神経を勝手に爆発させてキラキラと舞い散りながら輝くのでとっても綺麗だね読む神経毒虫コナーズテクノ〜〜って感じ。バチが当たってお尻におできが出来た。はじめはニキビかな?なんだろな?だったモノが筆舌尽くしがたい痛みに転じてまともに座ることさえ出来なくなったのは本当に生き地獄で、それが二つも同時に出来たのだからさぁ大変。病院で診てもらい、「かなり悪化してるから」とその場で手術、摘出と相成った。いや摘出て。急に摘出ってなんなの。膿?の入った袋というか大豆サイズの玉みたいなものを「取れたよ〜」て見せつけられたんだよな、医者に。めっちゃiPhoneで尻の写真撮られたし。その二点だけ全く腑に落ちてない。でも治してくれたお医者さんにはとても感謝してます。お医者、サンキュな!こうしてお尻に穴が二つ増えた。

 

・酒

"術後しばらくはかなり血が出ます。ガーゼは二日間外さないでください。運動・飲酒・入浴は一週間控えてください。"と、病院で貰った手紙に書いていた。でも飲んだ。すぐ飲んだ。だって新宿にいたんだもの自分の声を信じ歩けばいいの。それでも少し気を遣って鳥貴族でベルガモットチューハイを飲んだんだけど、時間経過でどんどん尻が痛くなる。あの木のベンチみたいな鳥貴族新宿三丁目店の座席な、あれのせいもある。家に帰ったら術痕に当てたガーゼが血でビッチョビチョになってた。潜在的な、動物としての本能レベルでそれはそれは恐怖を感じましたとさ。

 

・血

翌朝、ピクニックという名のツイッターオフ会と友人の結婚式をはしごする予定があり、必ずシャワーを浴びねばならなかった。そしてガーゼを外す。ガーゼは傷跡に差し込むように当てられており、昨晩の血で癒着しつつあった。それをンアーーーーーーー!!!!ウォオオオオオオ!!!!!と叫びながら剥がすこと二回。ホラー映画でしか見たことのない、血に染まるバスルーム。鮮血〜〜!(cv.IKKO)必死に新しいガーゼを貼り付けて家を出た。ピクニック自体は、まぁアレとして、ピクニックを離脱し品川のホテルにつく頃には礼服の臀部に血がついてゴワゴワと乾いていた。参列の友人たちに事情を話すと「そこのコンビニでナプキン買ってこようか?」とのお申し出。さっすが新婦友人枠でのご招待❣️多い日でも安心❣️「夜用ならカバーできるはず!平気よ!」など言われたものの丁重にお断りして、式と披露宴に参列。神前式だったら赤不浄で社殿に上がれなかったな、などと思いながら淡々と披露宴で飲み続け、ピクニックに再合流。華麗に終電を逃して彼氏の家へ転がり込んだ。

 

・恥

深夜まで営業!激安の殿堂ドン・キホーテ大明神様でガーゼとテープを買い求め、お風呂上がりに彼氏に貼ってもらう、尻に。まだ付き合って間もないのにこんなことって。羞恥と困惑に満ちた表情を枕で隠す私を尻目に、彼氏は全く動じずにただ黙々とベッドに横たわる私の尻にガーゼを押し当てるのでありました。

我が背子の 御心映えや 有難し

 

・穢

「お尻からの出血が止まらないので今日は仕事休みます。」彼氏の家のベッドから職場へ電話を掛けて、また布団に潜り込む。血が出てるから休むってなんか宮中女官っぽくない?そうでもない?黒不浄はあるけど赤不浄の出仕停止ってあったっけ?と思いを巡らす。古代、不浄や穢れの思想は天然痘など疫病の蔓延を抑制するための有効な手段だった。菌の存在は知らないものの、見えない何かが人から人へ伝染していることは感覚的に理解していたんだろう。それを"触穢"と呼んで穢の伝搬防止に努めた。しかし千年のうちに信仰上の概念と化して、本来の意味は失われてしまった。どこぞの僧職が曰ったらしい「おしっこを入れたコップ」の喩えは、本来の信仰に照らせば頓珍漢ながら現代の感覚を巧く言い得ている。事故物件を忌避するのも同じ感覚だ。

 

・賤

どちらかと言えばリベラルなゲイ界隈、流石にそんな俗信に支配されていないと思っていたけれど、まぁそれほど体系的な考えもないのだろう、未だに職業賤視の中にそれは残っているようだ。最近アカウントを消した意地悪ブス界隈の総大将が、消える直前に某売り専叩きを展開していた。 それ自体は単に醜い私怨に見えたのだけれど、便乗する人々の性産業従事者への蔑視は根深そうだ。ご自身のその忌避感の根源がどこにあるのかも知らず、理論的に説明できない感覚的な批判。そもそも同性愛や性産業を穢れとするのは日本古来の思想ではないし、彼らの理屈に従えば私は一般職のような卑しい物売りや人足とお喋りすることもご遠慮させていただける。本当にバカバカしい。職業に貴賤はない。あるのは歪んだ差別意識だ。

 

・燃

身をもって盛者必衰の理を表した例のアカウント、それに対するスタンスは人それぞれ。周囲にはミュートあるいはブロックしている人が多かったけれど、「ブロックして晒されるのが嫌」という声が一定数あったことも印象的だ。是々非々で距離を保ちつつ付き合う大人、媚び付きて晒しや叩きを回避する若者。あれとどう関わっていたか、アカウントは消えても@ツイートは残る。「えっ?ステキな人とツイッターで知り合った?付き合う前に"@相手のID  @0chinp0k0_chupa"で検索だよ!」こうやってホモツイッタラーの人間性を知る為の指標として今後も役立ちそうだね。ぱぴい、サンキュな!以上、現場からでした。

 

 

ゲイ鏡「ニベロの待ち合わせ」

 

平成で言う何年のことだったでしょうか。

今となっては昔のことですが、友人と待ち合わせをするため新宿二丁目にあったカフェ・ベローチェという喫茶店におりました時、前髪系・ゆるポ系の男性同性愛者があまた笑いさざめく中に、際立って齢を重ねた様子の男性同性愛者が二人、向き合い座っていらっしゃいました。

しみじみと、

「随分と年寄りがいたものだなぁ」

と感心して見ておりましたが、彼らの内の一人が楽しそうに目を合わせて言うことには、

「十代で地元を捨て、華々しい出会いに胸躍らせながらこの都に上った若者たちも、歳を重ね終には何処かへ去ってしまう泡沫の世の中で、またこうして此処で貴方にお会いできたことは大変な喜びです。昔はフォロワー数3000台の店子として活躍をされていた貴方が、交際相手に裏切られて借金を負い、失意のままこの街を後にされた頃は、私たちも随分と心配をしたものです。今では肌は老い、肥え太って頭髪も疎らですが、まだ"リッキーくん"と、あの頃の源氏名でお呼びしてもよろしいのでしょうか。」

と言うので、もう一人の男性が、

「世の人の言葉に"美人薄命"とありますので、私もあの夏目雅子のように美しいままこの生を終えるものと思っておりましたが、何の因果かこの様に恥を晒して生きております。しかし、こうしてまた貴方に会えた事で、恥を忍んで生き長らえた甲斐があったと嬉しくも思うのですよ。絶えず流れていく川の水のように人々が入れ替わるこの都で、私が初めて"街"へ出た十八・九のころから"カシオレ一杯で五時間粘るババア"と有名だった貴方が、こうして餓鬼のような様でも生きて暮らしていることは、いかなる神仏のご加護か邪鬼悪霊と契りのあったことでしょうか。近頃は昔語りができる人もめっきり減りました。どうぞ今日はその名前でお呼びください。」

と言いますので、カシオレババアは、

「かつて夏目雅子に自らを重ねた貴方が今や猪八戒とは、この世の栄枯盛衰とはこのことを言うのでしょう。常々プリン体の摂取に気をつけてきた私が、今も岡田奈々のようなスレンダー体型を維持しているのは本当に素晴らしいです。それにしても、まあ。貴方が高血圧で逝ってしまう前にまた会えたことを、つくづく嬉しく思う今日ですよ。」

と曰うので、このデブとキショガリは一体どれ程の古釜なのだろうと、一人二人となく辺りに座る男性同性愛者たちは皆、思わず口をつぐんでその二人の昔語りを興味津々に盗み聴くのでありました。