マルクの眼

千字一夜

これからの

●ゴリラの死生観

手話を使うゴリラのココが先月19日に亡くなった。「ゴリラは死ぬとどこに行く?」という問いに対し答えた“Confortable,Hole,Bye”(快適な、穴、さようなら)が、死去のニュースと共にツイッターで話題になっていた。ココは他でも「ゴリラの死」について穏やかなものと回答しているが、仲の良い研究者やペットの猫の死について話を振られると取り乱したそうだ。仲間の死に心的動揺を受ける共感力の高さに驚くとともに、この心的ショックは豊かな感情を手に入れる過程で人類が直面した苦難の一つだったのではないかと考えた。

※手話を使うゴリラの研究については昔から批判が多く、彼女らが言語を正しく理解していたのか、あるいは偶然だったのか、議論が分かれている。

●人類と宗教

数万年前、ホモ・サピエンスが勢力を拡大した背景に信仰による結束があったとNHKスペシャル「人類誕生」で研究者が語っていた。具体的な信仰についてはシャーマンによる豊穣祈願(主に狩猟)のような演出がされていた。しかし、文化的交流のない世界のあちこちで宗教が生まれた理由が「豊穣の祈り」だけというのは信じがたい。心理的な作用として宗教を生み出さざるを得なかった必然があるはずだ。ゴリラの死生観と関連づけるならば、自分自身や身近な存在の死に対する防衛機制として、死後の安楽を保証する信仰が生み出されたのではないかと考えている。

●補完するもの

2400年前、シッダールタは「生」「老」「病」「死」という四苦を目の当たりにして人生の苦しみを悟った。この苦しみに「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」の四苦を加えた八苦がいわゆる四苦八苦というやつだ。「愛別離苦」は愛するものと別離する苦しみ。この苦しみや愛ゆえの煩わしさがあるので愛するものから離れて孤独に生きることを初期仏教は推奨している。「別れが辛いから別れる」という教えの解釈は難しいが、愛する人との死別など、予期せぬ別れからの逃避としては納得がいく。人は愛する人との突然の別れに耐えられる強さを生まれついては持っていない。「宗教は弱い人間のためのものだ」という言葉を聞くが、宗教は人間が本質的に持つ脆弱さを補うために作られたプログラムだと考える方が宗教発生の説明もつく。

●共有できるもの

2500年前、孔子は終生心がけるべき人の徳として「己の欲せざる所は人に施す勿れ」と説いた。私たちの価値観や正義は様々な顔を持っていて一様ではなく、完全にお互いを理解し合うことは難しいが、全ての宗教が共有できる感覚に「愛する人を失う痛み」がある。教義宗派を超えて理解しあえるのがその痛みなら、痛みを人に与えないことが平和への最短ルートだろう。現代の人々は宗教を脱しつつあるが、その痛みからは逃れられていない。

●死をもたらすもの

2000年前、イエス・キリストは言った。「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。」(マタイ7.1-5)

私たちの大切なものを奪う原因は事故や病気・老いだけでなく、思想にもある。生き方の自由を奪い、心を追い詰め、人を死に追いやるような心無い批判・罵倒、価値観の押し付けは恐ろしい人権侵害で、本来は全ての人が立ち向かうべき問題だ。なぜならそれを黙認すれば、いつか自分や自分の周囲に同じ災いが降りかかるから。思想・表現の自由も、税金の大切さも、生命の尊さの前には軽い。

●無理解の解決

悲しくも、今回の騒動は渦中の人自身が「人は変わらない」と宣言をしている。本人が変わらないなら、その上や周りの人を変える“政治的働きかけ”しかない。私が一番危惧しているのは、今回のことで保守政党とLGBTQとの間に深い溝ができて完全に断絶してしまうことだ。LGBTQからは票を集められないと見れば、保守政党はわざわざ労力を使って理解を深めたり、支援に関わろうとはしないだろう。LGBTQは保守・リベラルといったイデオロギーに左右されない基本的人権の問題。むしろ理解の少ない保守政党とこそ積極的に意見を交わして理解を深めさせ、支援を約束させるべきだろう。自分がこれからできる活動について、あれこれ考えている。

 

終わり

自分かく語りき

忙しい日々が終わりに向かい、質の違う忙しさが始まろうとしている。

昨年末、平成30年度を以って退職する意思を社長に伝えた。それからとても働きやすい。ゴールがはっきりしたし、後に退けないので覚悟もできた。社長には「そうした方がいい。」と言われ、背中を押されたので拍子抜け。「どうせこいつは辞めるし…」と思ったのか、嫌いな上司が仕事に口を出してくることも減った。へへん、ざまみろ。

 

3年前の夏だったか、事務の資料整理をしていたら古文書を見つけた。それから天袋や倉庫に潜り込んで古文書・古資料を探す日々が始まった。アレルギー性鼻炎持ちにはそれはそれは辛い日々だった。1年後、かなりの量の史資料が集まり、それらの保存・整理などを任されるようになった。年代・ジャンルごとに整理し、内容の解読をチマチマと進め、地域史研究に資する史資料群と判断して存在を公表。結果、有り難いことに公的機関と共同で展示会・調査書の発行・講演会などを行うことになった。

先立って周辺地域の民俗調査や古文書探しも行った。民俗学者になりたいと思っていた時期も長かったので、真似事でもフィールドワークを行えたのは非常に楽しかったのだけど、それら諸活動が通常の業務に上乗せされたので、調査書の締切間際はずっと持ち帰り仕事。部屋には参考資料が積まれ睡眠不足が続き、卒論期間を思い出すなどして体調が悪かった。

元々それほど健康な人間ではないが、最低限の水泳やウォーキングはちまちまと続けていたのに全くそれらの為の時間が取れなくなり、筋力がなくなり、体力がなくなり、気力がなくなって、セルフイメージがナメクジになった。ナメクジでもナメクジなりに一通りの行事を完了し、評判は上々。私が採取してきた民俗行事の一つがその道の専門家にも好評で、興味深い内容だったとお褒めいただき舞い上がった。数人と共著という形だけど私が7割書いた出版物は、この地域の歴史を研究する上での一級資料として残るので、人生の目標である「後世に役立つ何かを残す」が果たされた。おかげでイモムシくらいまで回復。

 

ここ2年の準備期間でつくづく自分の浅学を思い知った。研究論文なら推測・憶測や多少の事実誤認も気にならないが、公的な出版物ともなると万に一つも間違いがあってはいけないし、後世に恥を残したくないので、一つひとつの用語を確認しながらの執筆。これがまあ進まないこと。ちゃんと大学時代に時間を使って勉強しておけばよかったという後悔に枕を濡らした日々。

で、冒頭の退職に繋がるのだけど、平成一杯で社会人をやめて大学院生になろうと思う。

就職したときから考えていたけど、やっぱり勉強って楽しいね。興味のあることを調べるのは楽しいし、自分の興味のある分野について人と意見を交わすのも楽しい。研究してその結果を発表して暮らすのが夢なので、目標は大学教授とする。社長も研究職向いてるって言ってくれたしね。なれなかった場合の滑り止めも諸々考えているから、今はまあ大丈夫っしょという気持ち。人生は夢だらけなので。

東京で暮らす資金もなんとか貯まった。お金では嫌な思いもしたけどしょうがない。最悪を選択しないことが最良とは限らないし、最悪の後悔をしなかっただけマシと割り切るしかない。

実家暮らしのメリットを活かしてしまい家族には申し訳ない。妻子や両親を捨てて生きたいように生きたぐう畜のお釈迦様も聖人になったし、私もどうにか許されたい。とりあえず高所得になるぞ。人間活動もしたい。

これまで逃げに生きてしまったけど、実は選択肢は結構あったのかもしれない。まだ残ってるかもしれないし、ちょっと行って確認してこよう。ダメならダメで、またその時考えましょ〜。

 

おわり

 

新訳山月記

 

同性愛者の遼介は博学多才、中学二年次 県美術コンクールで入賞、高校は地方の進学校に入学し吹奏楽に励んだが、性格は傲慢、自尊心が強く、サラリーマンで人生を終えることを潔しとしなかった。芸術の道へ進むと決めた後は、都内の有名美術大学へ進学し、ひたすら制作に励んだ。サラリーマンとなって長く頭を俗悪な上司の前に垂れるよりは、芸術家として自由で洒落た生活を送ろうとしたのである。

しかし美大での成果はなかなか揚がらず、卒業は目の前に迫っている。遼介は漸く焦燥に駆られてきた。この頃からその容貌も険しくなり、肉落ち骨秀で、目付きのみ徒らにギョロギョロとして、かつて北上尾で生活した頃の神童の美少年の面影は、何処にも求めようもない。数回の留年の後、周囲の圧力に堪えず、生活のために遂に節を屈してサービス業に就職することになった。一方、これは、己の才能に半ば絶望したためでもある。高校の同窓は都内で就職し遥か高所得となり、彼が昔、俗悪だと歯牙にもかけなかった同性愛者から同衾を拒まれることが、往年の秀才遼介のプライドをいかに傷つけたかは、想像に難くない。彼は東京を楽しまず、狂悖の性はいよいよ抑え難くなった。

一年の後、研修で大阪に出、梅田近くのホテルに泊まった時、遂に発狂した。或る夜半、急に顔色を変えて寝床から起き上がると、何か訳の分からぬことを叫びつつそのまま廊下へ飛び出して、闇の中へ駆け出した。彼は二度と戻って来なかった。友人がツイッターで情報を呼びかけても、何の手掛かりもない。その後、遼介がどうなったのかを知る者は、誰もなかった。

 

翌年、同性愛者、文京区の悠太という者、友達と新宿で飲み過ぎ、行き着いたハッテン場に宿った。薄暗い店内に出発しようとしたところ、受付の若者の言うことに、今日は空いているから、あまりいい人がいないかもですね、と。悠太は若者の言わんとすることを悟ったが、ここへは寝に来ただけだからと、色目を振り払い、迷路に足を踏み入れた。

僅かな照明を頼りに空いた個室を探していった時、果たして一人の男が暗闇から手を伸ばした。男は二の腕を掴んだが、振り返った悠太の顔を見て、忽ち身を翻して個室の中に隠れた。個室の中からくぐもった声で「あぶないところだった」と繰り返し呟くのが聞こえた。その声に悠太は聞き憶えがあった。不愉快の中にも、彼は咄嗟に思い当たって、叫んだ。「その声は、我が友 遼介ではないか?」悠太は遼介と同じ頃に東京で暮らし始め、友人の少なかった遼介にとっては、数少ない親しいゲイ友であった。温和な悠太の性格が、気難しい遼介の性情と衝突しなかったためであろう。

個室の中からは暫く返事が無かった。店内のBGMが虚しく響くばかりである。ややあって、低い声が答えた。「いかにも自分は北上尾の遼介である」と。

悠太は酔いも忘れ、個室に入って影に近づき、懐かしげに旧友に話しかけた。そして、なぜ顔を見せてくれないのかと問うた。遼介の声が答えて言う。自分は今や異形の身となっている。どうしてモテ筋の友の前にあさましい姿を晒せようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に嫌悪の情を起こさせるに決まっているからだ。しかし、今、図らずも友に遇うことを得て、遠慮の気持ちをも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な外見を厭わず、かつて君の友遼介であったこの自分と話を交えてくれないか。

後で考えれば不思議なことだったが、その時、悠太は、この偶然の再会を実に素直に受け入れて、少しも怪しもうとしなかった。酔いの覚めた彼は、入り口の傍に座って、見えざる声と対談した。都の噂、フォロワーの消息、悠太の現在の生活、それに対する遼介の祝辞。20代に親しかった者同士の、あの隔てのない語調でそれらが語られた後、悠太は、遼介がどうして失踪に至ったかを訊ねた。薄闇の中の声は次のように語った。

今から一年程前、自分が社員研修で梅田あたりに泊まった夜のこと、MNJで出会った男と致してから、ふと眼を覚ますと、誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中から頻りに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。 無我夢中に駆けて行く中に、いつしかあたりが赤くなり、しかも、知らぬ間に自分は左右の手を掴まれていた。何かが身体中を押さえつけるような感じで、何処かへと運ばれて行った。気がつくと、手足をベッドに拘束されているらしい。少し明るくなってから、首を動かし辺りを見ると、病院に入れられていた。

自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然とした。そうして懼れた。両親を泣かせ、警察の世話になったのだと知って、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。何かも分らずに押付けられたモノを大人しく摂取して、理由も分らずに収監されるのが、我々ホモのさだめだ。

退院日、自分は直ぐに死を想うた。しかし、その時、眼の前で二人の男が公園の便所に入るのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の手は体液に塗れ、あたりにはちり紙が散らばっていた。これが異常動物としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、Instagramも更新できれば、複雑な思考にも堪え得るし、音楽やアートを楽しむことも出来る。その人間の心で、異常動物としての己の獣欲のあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情けなく、恐しく、憤おろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうしてクソホモなどになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己はどうして以前、健全だったのかと考えていた。 これは恐しいことだ。今少し経てば、己の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えて了うだろう。ちょうど、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹のホモとして踊り狂い、今日のように街で君と出会っても友と認めることなく、君で抜きまくって何の咎も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切なく思っているだろう!己の人間らしい倫理のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じクソホモに成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了う前に、一つ頼んで置きたいことがある。セックスしてるところ見せてください!

 

 

失われていくもの

 

古く土葬の風習は全国にあり、薪など燃し木の入手し難く、また高価であった地域に於いては火葬よりも深く暮らしに根付いていた。火葬場の本格的な普及は戦後であり、都市部の人口増加に対応してのことである。加えて、住民の退去した被差別部落跡地の利用を巡る施策が背景の一部にあったことも記憶に留めておくべきであろう。

土葬と一口に言っても、地方によってその差異は大きい。弥生時代の甕棺が如き壺、あるいは深い木桶に足を折った胎児の姿勢で埋められることもあれば、直接土へ仰向けに寝かされることもあった。

島根県の某地方では、里に近き山の麓に仮墓地があり、人死が出れば先ずそこへ埋葬した。そして一年後に墓を掘り返し、肉が落ち白骨となった骸を親族で洗い清め、山奥にある先祖代々の本墓(ホンバカ)に埋葬し直す。これを洗骨、改葬などと称した。奄美諸島や沖縄にも見られた習俗だという。これの意味するところは、衰え、死に、腐る、か弱き不浄の肉体を脱ぎ捨て、清らかな御霊として祖霊の一柱に加え、永く子孫と地域を守護せしめんとする古い祖霊信仰である。

殊に、深山には豊穣を齎し給う祖霊神の宿るという。武田節の一節「祖霊坐しますこの山河」ではないが、春の雪解けとともに山から川を伝って田畑に到り、里に実りを運ぶ神の存在は往古より広く信じられたことである。後に天狗や大大坊(ダイダラボウ・デエダラボッチ)に変容した恐ろしき山の神々も、かつてはこの祖霊の一柱であった。

アイヌの信仰儀礼に「イオマンテ」がある。平たく言えば、動物の姿で現世に降臨したカムイ(神霊)からその恵み(毛皮・肉)を頂戴し、丁重なる感謝を捧げて天上界へ送り還す儀式である。こうして満足した神の再臨を仰ぐのだ。狩った動物の肉や毛皮を無駄にすると、カムイは仮の姿を捨てられず地上に囚われ、悪神となって人々を祟るのだという。

生身の肉体を脱ぎ捨て、恵みを齎す聖なる霊体へ昇華する儀式という点で、イオマンテは洗骨・改葬の類例といえる。

さて、話を身近なところへ移そう。

私の住む土地の古老が曰うことには、この地方に於いても昔は土葬が行われ、昭和20年代半ばに失くなったそうだ。それまで死人が出れば親族・地縁・隣組・村の若衆が墓穴を掘り、葬列には棺桶を担いだものだった。この老人は日蓮宗寺院の檀家である。昭和初期の葬送儀礼に宗派間でどの程度の差異があったかは不明だが、この話に三つの見るべき点がある。

Ⅰ.葬列で「チン・ドン・ジャーン」という"鳴り物"があった。

鼓鈸三通(くはつさんつう)といい、太鼓やシンバルのような三種の打楽器を、僧侶あるいは参列者が打ち鳴らすものだ。

葬儀司会者のための曹洞宗解説「鼓鈸三通(くはつさんつう)」について - YouTube

魔除けとも仏の徳を讃える音楽ともいわれる。

Ⅱ.仮面を着けた四人の男が棺桶の前後を行進していた。

棺桶の前に二人、後ろに二人がついた。仮面はそれぞれ異なる化け物の顔で、横に長いもの、縦に長いもの、鳥のように口が突き出たものなどがあったという(一枚の容貌は古老が失念)。墓地に着き埋葬が済むと、この仮面は土饅頭の周りに立て、死体を守る魔除けとした。

Ⅲ.墓地からの帰りは行きと違う道を通り、途中、ワラ縄でできた輪っかを路傍に捨てた。

このワラ縄の輪は金剛草履(コンゴゾーリ)といい、この地域特有の習俗として既に調査がなされている。墓地や火葬場への行きと帰りで道を変え草履を捨て、悪いものが付いてこないようにする慣習は全国にあるが、早いうちに草履が廃れ下駄あるいは靴の文化となったために、金剛草履という簡易的な草履を以って履物を捨てる習俗を維持したものか。

前二つは死者を守るもの、三つ目は生者を守るものと性格が異なるが、どれも葬送に寄って来る"魔"の存在を仮定し、その"魔"を遠ざけようとしている。"魔"について考える時、生者の対策が具体性を持っていることに気づく。護符や塩のような神仏の利益・加護に基づく漠然としたものではない。Ⅰ、Ⅱから思い浮かぶのは野生動物だ。死体に惹かれてやってくる動物を大きな音と化け物の仮面で脅し追い払う知恵が長い年月のうちに形骸化し、儀礼として定着していったものか。

Ⅲは金剛草履こそ地域固有の習俗だが、行き帰りの道を変えたり履物を捨てるといったことは現代の葬儀でも行われている。葬儀社の説明では、墓地・火葬場にいる悪いものや故人が寂しくて尾けて来るので、道を変え足跡を変え、追跡を巻くのだという。しかし、故人や葬場を彷徨う霊魂が参列者に憑いてくるならまだしも、やや遅れて足跡を辿ってくるだろうか。草履を捨てる事にも別の合理的な意味があったのだろう。

草履を捨てて追っ手から逃れる行為に、ある伝承が思い出される。

かつてこの国に生息していたニホンオオカミ(ヤマイヌ)の性質は臆病で慎重、人を襲うことは滅多になかった。大抵は暗い山道を歩く人の後をつけ、自分の縄張りから出て行くのを見届けるだけだった。この習性を「送り犬・送り狼」と呼ぶ。だが、弱っていると判断されれば忽ち襲われたともいう。狼の追跡は家まで及ぶことがあったが、そんな時は「見送り御苦労」などと声を掛けて、食べ物や塩を放ってやる。すると狼はそれを咥えて山へ帰るのだ。やらないと、狼は一晩中家の周りを彷徨き、翌朝には戸外で死んだ馬や鶏が見つかったという。

送り狼に与えるのは食べ物だけではない。それが草履である。理由は不明ながら、家までついてきた狼にそれまで履いていた草履を放ると、それを咥えて満足したように去って行くというのだ。熊や狐など他の野生動物には見られない行動である。

この性質により、墓場からの追跡者を狼に比定できる。狼が死体の周りを飛び跳ねたり死体にマーキングする姿が江戸時代に観察されていることも、彼らが死体に執着する獣であった傍証となろう。死体目当てで墓場へやってきた狼が更なる獲物を得ようと足跡を追跡してきた場合の備えとして、途中に草履を捨て置いたのだろう。

狼の近縁種ジャッカルも墓地を彷徨くところをよく観察されたらしい。エジプトではその姿を「死者を守護している」と解釈され、冥府の神アヌビスとして信仰されていた。

日本にも神の眷属とされる生き物がいる。稲荷の狐、春日・鹿島の鹿、熊野の烏、伊勢の鶏、山王・日枝の猿、天神の牛、松尾の亀、三輪山・弁天の蛇、御嶽・三峰の山犬などである。中でも蛇と山犬は別格で、神の使いでありながらそれ自身も神とされた。山犬の神は「大口真神」と称される。耳まで裂けた口に咬まれることを恐れ、その存在を畏んだ昔の人々の心情が垣間見える名だ。先にニホンオオカミの性質を臆病で慎重と述べたが、これは幕末から明治初頭の絶滅直前の姿であって、中世から性質の荒い個体が討伐されていった結果、おとなしい狼が生き残ったとも言われている。古代の人々にとって、狼は恐怖そのものだったのだろう。

日本人の"咬むもの"への恐怖を物語る例がある。柳田國男は「化け物を指す語」として東北地方を中心に見られる、モウ・モウコ・モッコ・モンモ・モモンガーと、西日本に見られるガゴジ・ガンゴ・ガンゴジ・ガモ・ガガモ・ガモージーを同じ一語からの派生と断じた。それは化け物が人の前に現れる時に発する声「咬もうぞ」だという。アクセントの違いで「モウ」が強調された東日本と、カがガに転じた「ガモ」の西日本に分かれたという。柳田はその言い回しから語の発生を中世以前に求める。現代の言語学会から見ればこの語源説に異論もあろうが、妖怪や化け物に古代の神の零落したものが多く存在することを踏まえると、大口真神など獣身の神が神性を失った姿としての「カモウゾ」は妥当である。人語を操る点に物言わぬ魑魅魍魎よりも高位の神であった痕跡が僅かに残されたのだろう。

自然崇拝の多神教では、神は性格の善悪を問われない。その超人的な力への畏怖が信仰の根源を成しているのだ。逆説的に、"大神"が"魔"や"妖怪"に落ちぶれたのは、狼から荒々しい性格が失われ、恐怖の対象でなくなっていったことと無関係ではあるまい。

今日伝わっているニホンオオカミの民話は、その生き物の生態を知るのに充分とは言い難い。今後は日本各地に残る古い信仰儀礼から狼の痕跡を見出し、その一つ一つを掬い上げて生物学的アプローチをとって更なる生態の解明を行うことが求められる。

 

 

 

流されていくこと

街の灯りが綺麗なのは、人の命を燃やしているからだと言う。言ったのは私だ。

 

"何気ない日常"という言葉で括られない人生のうちの貴重な1日をただ無為に過ごすことに罪悪感を覚えられるのは我々の感性が人工知能より勝れている点だろうか。

 

流転しなければならない万物も諸行無常な物質世界も私たちにとってはただ一時の気の迷いにも似た経験に過ぎず、その荘厳な流れによって渦巻き逆立てられ発生せざるを得なかった力を感情と呼ぶならただ無為に過ごす日々に心を弄ばれるのも必定と言える。流される笹舟か立ち止まる水車か。全て法則に従って移ろい続けるエネルギーが私たちの身をいつか壊すとしても私たちは絶えず行くその流れを受け入れ砕けわれても末に会うことを願いながらその日を待つしかない。

 

台風が去った翌日の朝、まだ落ち葉や枝などがびちょびちょと道路を埋め尽くし水の匂いが立ち込めるその中を神聖な気持ちで歩いたその時、等しく私たちは祝福を受けている。

 

時に燃え、流れ、回り、刺さる、目に見えないエネルギーに私たちが意味や理由を問うことの意義をこそ私は問う。

 

 

☆★千眼 轟先生のメールマガジン★☆

毎週金曜日配信!

千眼 轟先生のマントラマガジンの購読をご希望の方は、当ブログお問い合わせフォームからご連絡ください!(購読料初月2,160円〜)

 

また何者かになるということ

 

「何者にもなれなかった」と言われる。私もそう思う。別の見方をすれば、私は私になってしまった。そうとも言える。「何者かになりたい」は自分ではない何者かになって我を苛む恐怖や焦燥から我を救いたまえと願う祈り。かの木村カエラは言いました。『自分らしくいるのが怖いなら 誰かのフリしたっていいじゃない‼︎』。パロディが好きで誰か・何かしらの文体を真似る事に固執する私も或いは自分らしくいるのが怖いのやも知れぬが、そのパロディの中に潜む自我や自己主張こそが己の本質であって、模倣しきれず溢れる凡庸の泉に足を浸しながら水面に映る自分を見つめている。

「何者にもなれなかった」の前提となる欲求、「何者かになりたい」の"何者か"とは何者なのか。自分以下の社会的弱者ではない。ならば平均的な、平々凡々とした人間か、といえばそうでもない。大抵"特別な肩書きを持った人"が"何者か"である。かの中田ヤスタカは言いました。『ねぇ みんなが 言う「普通」ってさ なんだかんだっで 実際はたぶん 真ん中じゃなく 理想にちかい だけど 普通じゃ まだもの足りないの』。「特別な人間になりたい」をマイルドに、社会に受け入れられる表現に直すと「何者かになりたい」になる。そうやって自分の理想像を濁らせて、また、そうなれなかった時にかく恥を最小限に止めようとして、「羨望を集めたい」「チヤホヤされたい」という実に凡愚的欲求を哲学めかして抱き、結果できあがるのが「自称何者にもなれなかった人間」だ。かのサカナクション山口一郎は言いました。『好きな服はなんですか?好きな本は?好きな食べ物は何?そう そんな物差しを持ち合わせてる僕は凡人だ』。山口一郎ですら凡人で私たちが何になれようか。

山月記の李徴が語る『我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心』とは、「己は何者かになれる」と信じながら、才能不足を自覚することを恐れ、何者かになる努力を真に行わない魂だ。私は私は私は何者になった何者にもなれなかった何者だ何者だ何者だと繰り返し自問自答するお前は逃れようもなくお前だ。かの仏陀は言いました。『他人のしたこと、しなかったことを見るな。ただ自分のしたこと、しなかったことだけを見よ。』

相対で見れば、"何者か"と呼べるのはごく一部の頂点。本来、我々は皆、絶対的に"己"であり、それは"何者か"である。問われるべきは"何をする何者か"であって、その肩書きや地位ではない。

 

 

"麺屋 久佐磨 -kusama-" 本日開店

 

 

本日、私の終生の念願であった"麺屋 久佐磨-kusama- "を開店し、みなさまにラーメンを味わっていただきたいという私の心からの希望が達せられました。これは私の生涯に於ける最大の喜びであります。

私の人生はラーメンによって開かれました。私はラーメンを食べることに、スープの奥深い輝きに、深く打たれ、心を打たれ、食と生命の深い交わりの中で、幼かりし頃より私を毎日おそってくる死への憧憬、最愛なる人類に対する私の限りない畏敬の念とを抱きながら、世界のあらゆる所で闘い、自分の人生をラーメンに捧げてきました。私は人生をラーメンの求道の中に置いて、生命の尊厳に対する深い憧れ、人類の素晴らしさが初めて現れた。今この時にも私の人生は始まっているのです。

私は、私のラーメンのスープの一滴、メンマの一口でも、ラーメンを愛するみなさまの中に残したい、新しいラーメンの真髄を見つけたい。すべての人類に捧げる私の心の底からの敬意と愛情、調理への意欲と美食への希望に対する私の情熱を、みなさまに見て、香って、味わっていただければ、これに勝る喜びはありません。そして、私のラーメンを味わった若い人たちに、私を乗り越え、不滅の志をもって高く高く、宇宙の果てまでも、最高のラーメンを追求して貰いたい。ラーメンによって救われ、死の憂鬱の影を振り捨てて、心からスープと麺への賛美を歌わんとする、私の生きて来た道をひとつでも見つけていただければ、本当に嬉しい。

ラーメンは素晴らしい。私は自分のラーメンの力を信じて、何十年も闘ってきました。今も世界には戦争や飢餓、貧困、人間に対する沢山の憎しみや傷跡が絶えません。私はラーメンの力、愛の力をもって、世界に平和と美食の素晴らしさを伝えたい。全てのかがやく生命に、私の精魂こめた温かいラーメンをぜひ食べて欲しい。

さあ、ラーメンは無限だ。もっと独創的なラーメンを沢山作りたい。もっと時間が欲しい。私は生きたい。無限の生と死の輝きをもって、命の限り、五徳の炎が消える終わりの日まで、私はラーメンを作り続けたい。その日まで、あなたたちの志をもって私を鼓舞していただきたい。私が死んだあともみなさま、どうぞ私のラーメンを愛してほしい。私の愛するこの店を、是非みなさまの最大の愛をもって一生愛して頂きたいと思っております。よろしくお願い致します。

                                平成29年11月7日  店主 謹白

 

メニュー表(価格は変動する場合があります)

・華やいだ幸福の夢 ¥680

・ネギ華やいだ幸福の夢 ¥730

・チャーシュー華やいだ幸福の夢 ¥830

・ネギチャーシュー華やいだ幸福の夢 ¥880

・憂える我が心 ¥730

・ネギ憂える我が心 ¥780

・チャーシュー憂える我が心 ¥830

・ネギチャーシュー憂える我が心 ¥930

・辛味憂える我が心 ¥830

トッピング

・ネギ ¥50

・メンマ ¥50

・チャーシュー(バラ2枚) ¥100

・チャーシュー(ロース2枚) ¥120

・わたしの死 ¥100

単品

・永劫のかがやきを持った二つのまなこ(6ヶ) ¥250

・永劫のかがやきを持った二つのまなこ(10ヶ) ¥320

・野菜永劫のかがやきを持った二つのまなこ(6ヶ) ¥300

・野菜永劫のかがやきを持った二つのまなこ(10ヶ) ¥380

・ネギチャー丼 ¥150