マルクの眼

千字一夜

✴︎☆カワウソさま☆再発見☆✴︎

先日長崎県対馬ツシマヤマネコの調査を行なっていた琉球大学の調査チームがカワウソさまの撮影に成功したそうです。たまたま写り込んでしまったと教授は言っていましたが、もしこれがニホンカワウソならば絶滅種の再発見ということで、絶滅種指定の取り消しと野生下での生息として野生絶滅よりも一歩進んだ指定のやり直しなど受ける可能性もあり、ますます目が離せませんね。

しかしユーラシアカワウソという近縁のカワウソさまも対馬からほど近い韓国には現生しているので、朝鮮半島から渡って来たものである可能性も捨てられません。が、50キロもの長い距離を休憩なしで泳ぐとは考えられないので、台風など何らかの災害によって漂着したと考える方が自然です。周辺のフンから採取したDNAによれば二個体のカワウソさまだそうなので二匹一緒に流されてきたとすれば何らかの意思を感じます。或いは一群で生息しているのなら対馬の特性上何度となく流されてきたユーラシアカワウソとニホンカワウソとの間で混血が進んで今回発見されたカワウソさまに至った可能性もありますし、現に最後までニホンカワウソが生息していたと考えられる地域の一つに同じく長崎県五島列島があるのでここにも何らかの意思を感じます。

私はかれこれ15年ニホンカワウソの消息を追い続けて思い出すたびに検索しては最新情報を得ていましたので間違いなくカワウソさまは絶滅していないと信じていたのですが肉体が滅んでもカワウソさまの霊体が生息していることにも気づいていました。カワウソさまは身を必要としない上級思念体の一つであり狐や狸・猫・モモンガなどと同じ種族に挙げられミズハノメ=水の神の眷属であるからして毛皮目的の狩猟や護岸整備などの人為的要因で絶滅したように見せて実のところ山で冬を過ごし春に田畑を潤しながら秋の実りをもたらしていたのです。(サの神の信仰)しかしなぜ今のこの時に姿をカメラの前に現したのかあの映像を観てハッキリと分かりました。カワウソさまの動きは最後通牒です。対馬は大きな船ですので二匹のカワウソさまはノアの箱舟に乗せられた動物のつがい、次の世界へ子孫を残すことを天上帝に許されました。見つかったのが四国ではなく長崎だったことは日本のキリスト教聖地であり多くの聖人の魂で満ちた場所が長崎ですし最後の生息地の一つ五島列島は有名なカクレキリシタンの土地である意味からして長崎は上級思念体が魂を隠すのに最も適した地です。今導きを受けて私がカワウソさまを見た意味はこのブログを書かせようというのだと思います。カワウソさまは今の日本を危惧して語っています。「朝鮮半島由来の血か日本の血かがそれほど重要だろうか。命を愛しそれぞれの愛を育てなさい。さもなくば日本は水底へ沈み動物だけが残るだろう。」もう一つのメッセージがあります。大きな船の対馬ノアの箱舟でもあり巨大なイージス艦でもあります。映像の中でカワウソさまはカメラに向かって二、三度跳ねて見せて最後にミサイルのように真一文字になりフレームアウトします。これは「挑発をやめよ。ミサイルの発射を食い止めよ。さもなくば人類が滅びる。」なぜ今対馬で絶滅した(と一般人に思わせ悠々と暮らしていた上級思念体の)カワウソさまが(わざわざ)カメラの前に姿を現したのか。「彼らの思い通りに世界を地上の地獄にはさせない。」カワウソさまの映像を見て気づいた他の皆様とつながりたいと思います。

 

クローン人間の活動について 前編

■前夜

古くから語られる陰謀論の1つにクローン人間によるスパイ活動がある。不老不死のサン=ジェルマン伯爵をクローン人間とする説があるが、私の知る限りで最も古いクローン計画は1920年代初頭のイギリスで始まったものである。

■発端

第一次世界大戦の傷跡も生々しい当時、ヨーロッパの民衆は世界が再び戦火に包まれるとは露ほども思っていなかっただろう。しかし戦勝国を中心とした欧米の首脳は"このままでは終わらない"という危機感を抱いていた。不安定な世界経済と領土を巡る小競り合いは尚続いており、特に人種差別思想も相まった日本への危険視は米英とも根強く、ワシントン会議での海軍軍縮、四カ国条約締結とそれに伴う日英同盟の失効は日本を強く抑圧する結果となった。

その頃、戦争(軍需)大臣を退任したウィンストン・チャーチルは、日本の暴発を危惧しアジアに潜入する諜報員の必要性を訴えた。これを端緒として、イギリスは国費を投じたSIS(MI6) クローン工作員作戦を計画したのである。

■経緯

そもそもチャーチルがクローン計画に注力するようになった原因は第一次世界大戦に於いて自身が立案した"ダーダネルス戦役"の大敗にある。この戦いでイギリスは2万人以上の屈強な若者を失い連合軍への面目を潰した。失策を責められ政治的挫折を経験したチャーチルは、これ以来 大規模な軍事衝突よりも諜報・工作活動を好むようになったと言われる。

■作戦

東アジア系女性クローンによるハニートラップ、具体的には日本軍将校からの機密情報入手、陸軍・海軍の対立扇動など、軍内の瓦解を目的としたこの作戦は、''不和の林檎計画''と名付けられた。

■栽培と育成

クローンのオリジナルとなった少女は南米で保護された日系人孤児である。クローン人間の"栽培"方法は''不和の林檎"中の最重要機密であり外部に殆ど漏れてこない。が、"あらゆる点に於いて人間とは異なる"方法で生まれ、育てられるのだという。本国にある研究所では毎年2人のクローンを収穫し、専門教育を施している。

クローン工作員は旅芸人として活動するため、歌唱・舞踊・楽器演奏・演技・会話術から賭博まで、技芸娯楽全般にわたる指導を受ける。最初期はその道の専門家複数人による教育プログラムがあったが、年嵩のクローンが増えるにつれ彼女らが文字通り先生となって幼いクローンを養育する方式が取られるようになった。

■利点と誤算

定住せず、深い人間関係を築かない旅芸人はクローンにとって誂え向きの職業である。また、旅芸人の慰問公演は軍人にとって最大の娯楽であり、戦時下でも比較的自由な往来が認められる職業であった。

しかし、準備が整い計画が実行に移される頃、既に日本は盧溝橋事件、パールハーバーアタックと泥沼の戦争へ突入していた。歴史に''if"はないが、イギリス式教育を受けた日本海軍を偏狭な陸軍と対立させ、"クーデターを計画した国賊"として陸軍を粛清する離間工作が成功していたならば、現在知られる関東軍の暴挙はありえなかっただろう。かくてクローンは本国では「満州国、中国内陸部を転々としながら情報収集を行うつまらない存在」と見られるようになり、事実として活動はそんなところであった。余談だが、クローンの一座が慰問興行によって得た収入は莫大であり、諜報及びクローン栽培の資金として大いに活用された。"不和の林檎"が当時のイギリス戦費を圧迫したというのは陰謀論者の錯誤である。

第二次世界大戦

二発の新兵器が炸裂し悲劇的な終末を迎えた第二次世界大戦。無用の長物となりお払い箱かと思われた"無能クローン工作員"には次なる任務が与える。アメリカの下で"反共の防波堤"の役割が期待される日本国内に於いて自由主義・資本主義の賛美、反共プロパガンダを行うというものだ。だがこの任務も当初は順調とはいかなかった。というのも、その頃ソ連KGB先の大戦中に満州で捕らえたイギリス製のクローン工作員を研究・改良し、自国産クローンの製造に着手、ついに実用段階に入っていた。クローン分野に於いて先行するイギリスも、ロシア革命時から改良・洗練されてきたボリシェヴィキの諜報とプロパガンダの技術の前には成す術なく、世界初のクローン工作員対決はソ連に軍配が上がった。こうして日本は安保闘争から全共闘学生運動の時代に飲み込まれていったのである。しかし、イギリスも手を拱いていた訳ではない。70年安保の時代には、ベトナム戦争を収束させつつあったアメリカと協力し左派の内ゲバを誘導、学生運動の無力化と民心の離反に成功した。

この後、イギリスは共産主義の封じ込みを目的とした欧州諸共同体の拡充に注力し始め、日本国内のクローンは実質活動停止となる。

 

続く

 

雑考

●鈍る

頭が鈍くなっている。加齢と思考停止のせいだろう。難しいことを考えないで、淡々と生きているからだ。会話もそう。予測可能で予定調和な会話ばかりしているので自分のテンポがなくなってしまった。貧すれば鈍する。貧しい暮らしをしている。

●休む

つくづく自分は無趣味だと思った。興味のあるものは多いのに無趣味。興味のあること=仕事、仕事から離れたい時に楽しむものがない、思考の逃げ場がない。そういえば歌舞伎やオペラを観に行くことがなくなった。ライブにも随分行ってない。交友関係も閉じていく。仕事のために体を休めるという思考。仕事がそれほど嫌ではない。そうなってしまうからこそ、仕事と好きなものは切り離すべきなのかもしれない。

●ピラミッド

金字塔を建てたい。功名という訳ではないけど、何か一つ社会や誰かの役に立って死にたい。それが成人してから私が抱いてきた漠然とした目標。学術的な分野であれば研究成果が後の世に残る。子孫を残す代わりに有象無象を書き留めて記録を残す。生殖以外で次の世代へ自分を残す一つの方法。創作活動を行う友人も同じようなことを言っていた。これまで生かしていただいたお礼も兼ねて、そんな事を考えている。

●ライフステージ

広瀬香美が次のステップへ進みたがる傍ら、私は立ち止まっている。時間は早送りできないから仕方がない。憐れまれても困るけど、私も生き急ぐ人を憐れんでいるのでお互い様だ。与えられた薪の数は限られている。自分と同じペースで同じ方向へ進まないことに思うところがあるのは分かる。でも、それだけだ。

●気難し屋

人生の指針の一つだった「善く生きる」ことを辞めた。諦めたというか、無駄だと感じた。芯のない他人に善く生きるよう強いられるのは御免だと思ったからだ。守りたい生き方がないだけ身軽で強い、哲学のない人間。だったら私もそうなって、気難しくて気性が荒い自分のままで生きたい。

●楽しみ

万葉歌人大伴旅人はこう詠みました。

生ける者 遂にも死ぬるものにあれば

この世なる間は楽しくをあらな

この世にし楽しくあらば来ぬ世には

虫に鳥にも我は成りなむ

どう思いますか?「楽しく」の解釈。連作"酒を讃むる歌"の中の二首なので、単純に考えれば「酒を飲んで楽しく暮らしたい」。私だったら「自殺するほど苦しくはないけど、なんか楽になりたいね」そんな気分。解釈の仕方は色々あるし、解釈をする自由は誰にでもあるけど、この歌は作った旅人のものだ。旅人の意図でしか成り立たない。そこが発信者と受信者との間にある絶対に埋めることのできない隔たりなのだと思う。少しでも埋めるためには旅人を知るしかない。それがジャコメッティ展には足りなかった。

 

 

聞いた話

■山と婆あ

アルバイトの女子大生から聞いた話。

彼女の父の実家は飛騨高山の山奥にある豪農で、広く田畑山林を所有している。父の兄である伯父が本家と土地を継いでおり、昔はたまに遊びに行ったが祖父母が亡くなってからは里帰りをすることもないそうだ。ある時、父だけが本家に呼ばれて帰ると、神妙な面持ちをした伯父に仏間へ通された。見せられたのは仏間の襖に浮びあがった墨絵のようなぼんやりとした染み。眺めると右奥には山がそびえ、手前に老婆が口を開けて立っているように見える。これは一体どうしたのだと尋ねると、父たちから見て叔父に当たる祖父の弟が、先祖代々所有してきた山の1つを売ってしまったのだという。この山は96歳まで生きた曽祖母、村では知らぬ者のいなかった田中の婆あが大事にしていた山で、何があっても手放すなと今際の際までしつこく言いつけていたという。それをロクデナシの大叔父が勝手に売ってしまったので、田中の婆あが怨んで出た、というのである。分家や先祖に申し訳ないやら恥ずかしいやら、しかし山を取り返す術もないので、数年経った今も襖はそのままにしているということだった。

 

■テンソウシキ

仕事の関係で、取り壊される直前の家を視に行った。二階建て、築40年だというその家は、洋室のランプや仏間の欄間・襖絵など洒落ていて、古いけれど細部へのこだわりを感じる良いお宅だった。

その建物に隣接して離れがある。母屋と離れの間隔は50cmくらいで、わざわざ離すような距離ではない。離れは母屋よりもボロボロで小さい、縦長八畳一間、和室だけの建物だ。乗ると沈む畳にはカビが生えていた。部屋の奥左に床の間、右に違い棚、側面には立派な桐箪笥が2つ。母屋よりも立派な床の間と違い棚だったので「客間か茶室ですか?」と私が尋ねると、60過ぎの奥方は「テンソウシキです」と答えた。

50年前に建てられたこの"テンソウシキ"は、敷地に建てるだけで家が栄えると言われ、建物の向きや大きさにも決まりがあり、わざわざ母屋から離すことが重要だそうだ。奥方の祖母が危篤の時もわざわざこの建物に移して看取り、両親は体調の悪い時この部屋に寝に行ったりと特別な場所だったらしい。先日亡くなった奥方のお母上は、自分が死ぬまでこの離れを壊すなと言いつけており、ここ数年は物置として使用していたのだそうだ。

私は家相風水にとんと疎いので、後で詳しく調べようと思いながらふむふむと話を聞いていた。ところが、帰って調べてもテンソウシキなんて言葉は見つからない。"転送式"か"天相敷''か、とにかく家相に関する言葉にそんなものはなかった。

思うに、「離れ座敷」あるいは「単座敷」の聞き間違いではなかったか。とは言え、離れ座敷と家運に関わる話も聞いたことがない。色々仮説は立てたものの、冗長なので下書きに留めよう。

 

科挙

同じ職場で働く中国の古文を研究している人の話。

中国の科挙制について今更説明する必要もないが、極めて優れた統治方法だと思う。力のある家の子、賢い子女は幼い頃から科挙試験に合格することだけを目指して一心不乱で勉学に励み、合格すれば特権階級、不合格ならばまた来年…と、他の事に目を向ける余裕を奪われる。科挙に挑戦する財力も、それだけの知能もない者には誰も従わない。こうやって反乱の芽をそれと分からぬように摘んで、儒教道徳の下で国家を運営する。今の日本にこの構造を当てはめて説明することは難しいが、何か見えるものがあるのではないか。

なるほど、面白い考察だと思った。

 

 

 

長い夢

寒村に住んでいて辛いのは春のこの時期だ。少しずつ伸びていく日照時間に誘われて、骨だけになった木から新たな生命が顔を出す。太古から未来永劫そこに在るように思われた分厚い雪も、熱い魂に身を溶かし土を汚いぬかるみに変える。山や生き物が再生ボタンを押されたように動き出す。またこの季節だ。

ここを出ようか、なんども考えた。

ニュースといえば鹿が現れたくらいのこの場所では、テレビやインターネットで知る情報はただの情報であり現実ではない。言ってみれば、バンパイアとパリピはここでは同じ架空の存在なのだ。或いはどちらも現実かもしれない。目で見たことが事実、見ていないものが虚構ならば、ここに住む僕にとって大抵のものは虚構だ。「人は死ぬ」みんなが言う。僕も人の死は見たことがある。昨年81で祖母が亡くなったときは、遺体の冷たさと硬さに驚いた。だけど、どうだ。自分が死ぬところは誰も見たことがない。一番存在が確かな自分の死を見たことがないのに、「人は死ぬ」なんて疑いようのない真実のように言う。現実主義のようで、神を見たことのない人が「神はいる」と言うのと変わらない。身近に存在しない虚構の実在を信じるしかない僕は、いつもそんなことを考える。昔からそうだ。

こってりネギチャーシュー麺を頼んだのに、食べているラーメンにはネギがのっていない。セルフサービスの水を汲みにいくフリをして券売機に並んだ文字列を確認する。こってりラーメン、こってりネギラーメン、こってりチャーシュー麺、辛味こってりネギチャーシュー麺。僕の買った900円の食券はこってりチャーシュー麺のそれだった。その並びならネギが入っていると思ってもおかしくないだろ、と一人憤ってみるが、この辺りに一軒しかないラーメン屋の店主と気まずくなりたくはない。店主は僕の同級生の父親の親友だとかで、学生の頃は部活後、件の同級生に誘われて来店し、煮卵をサービスしてもらった。店主は僕の顔なんてとっくに忘れてるだろうが、この辺鄙な場所にまあまあ食えるラーメン屋があるだけでもありがたい。よく見れば、チャーシューの上にお気持ち程度のネギも乗っているではないか。うんうん。結局、気持ち次第だ。

神棚の隣に据えられたブラウン管のテレビは黒い画面に店内を虚ろに映している。この村だって、地上デジタルに移行したのはずいぶん前だ。人間は自分の得にならないことはしない。店主も自分の立つ厨房から見えない地デジのテレビなんて買いたくないだろう。虚無を買うようなものだ。それを分かっているから常連客も指摘しない。

ガララッ。アルミサッシの扉が開く。入ってきたのは鹿だ。入って来るなり、ブラウン管のテレビを見つけて震え出した。白い顔を怒りに染めて激しい手振りで抗議を伝えている。「らっしゃーい。注文は券売機でー。」ろくに客を見ていない店主がトンチンカンな言葉をかける。「地デジカ…」僕は呟いた。そうか、今朝のニュースで鹿が出たと言っていたのはこれだったんだ。意思が伝わらずもどかしいのか、地デジカはヒートアップして今にも店主に襲い掛かりそうな勢いだ。「大丈夫!あのテレビ、地デジチューナーがついてるから!」僕は立ち上がって、口からでまかせの嘘をつく。すると、地デジカの顔はみるみる白くなった。心なしか微笑んでいるようだ。満足したように頷くと地デジカは店を出て行った。ガララッ。扉がしまる。「なんだ、あいつ地デジカかよ。」そう呟いた店主は「お兄ちゃん、たか坊のお友達だろ?悪かったな。これ、いつものサービスね。」そう言って、麺もチャーシューもなくなったこってりスープの中に煮卵を投げ入れた。冷めて脂が固まりはじめたスープに沈む煮卵を見て、僕はこの村を出ようと思った。

 

 

徳島

旅行記が苦手。この記事も導入部分でつまずいて1月以上も頭を悩ませた末に書いている。なるべく淡々と簡潔に。

 

徳島に行ってきた。徳島はいいぞ。空気がいい。人もいい。たぶん。

www.awanavi.jp

後ろに座ったサラリーマンの足があまりに臭くて眠れなかった夜行バスの旅が終わり、徳島駅に着いたのが朝6:30。徳島駅周辺は至る所に阿波踊り銅像や幟、シールの貼られた自販機などがあり、異様。

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ポストの上で踊る人たち(cawaii)

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自販機の側面

www.tokushima-coffee.co.jp

長野駅前が善光寺の雰囲気に呑まれてるのと同じで、有名な観光資源に頼るのは地方都市あるあるだ。沖縄はエイサーの銅像こそないがシーサーは至る所にいる。

レンタカー屋の開店までマクドナルドで数年ぶりの朝マックを食べながら前夜に買ったばかりのカメラを組み立てて時間を潰す。

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お土産のハーバーin徳島のマクドナルド

レンタカー屋で現地コーディネーター兼通訳のしょうたいむ🌝さんと合流し、眉山に登る。眉山の名前はどこから見ても眉の形に見えることから。

眉山 (徳島市) - Wikipedia

まず中腹の忌部神社に寄る。

忌部神社 - Wikipedia

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 古代豪族の忌部氏勢力を誇った阿波国。その阿波忌部氏の祖神を祀るのがこの神社。

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人はいなかったが招き猫がいた。

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寂しい人に猫は懐きやすいというが…

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猫と歩く

眉山は市街地からすぐの割に標高がそこそこあり、頂上からの見晴らしがよい。県庁や港、天気がいいと紀伊半島まで見えるそうだ。

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ロープウェイが人気らしい。とくしま88景

 

次に市街地にあるしょうたいむ氏おすすめのいちご大福のお店へ。

和菓子処 福屋トップページ

徳島市佐那河内村では「桃のように大きく、ジューシーで甘い」という「さくらももいちご」がごく少数の農家でつくられています。ジューシーで、そして、甘く柔らかい香りの「さくらももいちご」を真白で柔らかな餅でそっと包みました。

さくらももいちご-イチゴの品種:旬の果物百科

ももイチゴ」のワンランク上のブランドイチゴとして2008年から流通が始まった新しいイチゴで、非常に品質が高く、またとても高価なプレミアムイチゴとして扱われています。

さくらももいちごは「ももいちご」と同じく、一つの株に8個前後しか実がならないように摘花(てきか)し、一粒一粒に栄養を集中させる栽培方法がとられ、出荷に際しても甘さ、傷、食味等の厳正なる審査を受けて、それを、クリアしたいちごしか出荷されていません。

"さくらももいちご"という某漫画家を彷彿させる名の巨大ないちご。流通量が極端に少ない激レアいちごだそうだ。その為、大福"さくらももいちごの里"は1つ720円と高価。

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クール便でご自宅にもお届け

ももいちごの里通信販売

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amazon並みの梱包(かわいい)

いちご大福を手に一路、県西の祖谷(いや)地方へ向かった我々。休憩も兼ねて途中の阿波PAで大福を食べる。一口目からいちご果汁がじゅわっと溢れ、白あんのサラサラした舌触りと合う。甘すぎない白あんといちごの酸味と甘味、そして素晴らしく上品な香り。ぽいち~…。

PAのトイレのそばに「土柱→」と書いた看板が立っていた。気になってたいむ氏に訊ねると「阿波の土柱」という珍しい地形の天然記念物があるとか。世界三大土柱!阿波PAの裏に高速外へ通じる道があり、徒歩10分ほどで辿り着く。

土柱 - Wikipedia 

日本では、「世界三大土柱」として、ティロル地方(イタリア)・ロッキー山脈アメリカ)・徳島(日本、「阿波の土柱」)があげられることがあるが根拠は不明である。

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土柱旅館や土柱温泉、お土産物屋が並ぶ。かつては観光客で賑わっていたのだろう。寂れた観光地を見ると千と千尋の神隠しを思い出す。(※調べたら現在でもバリバリ現役の観光地として団体研修などを受け入れているようです。失礼しました。)

ここの広い駐車場は地域掲示板利用者の待ち合わせに使われているそうだ。伝われ。

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肝心の土柱がこちら

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岩肌が風化によって削られている。正直あまり期待していなかったが、目の当たりにするとなるほど感じ入るところがある。これもとくしま88景。

さらに西に向かう。山深く道もうねる。運転するしょうたいむ。曲流すだけめのくるま。道路をたぬたぬが横切るなど、徳島のいいところが段々濃くなってきた。

土柱から一時間ほど走っただろうか、大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)という渓谷にある観光施設"West-West"でお昼休憩。大歩危小歩危もとくしま88景。

west-west.com

 

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もみじ亭は、築二百年の古民家を改築した祖谷そば店です。
かつては地元の郷土民俗資料館として利用されていましたが、West-Westのオープンに伴い「本物の古民家で祖谷そばを味わう」というコンセプトのもと、大幅な改築を行いました。 

観光大使しょうたいむさんのおすすめです。

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古民家を改築した店内は、古い柱が全て黒に塗られておりシックな印象。吊るされている独特な形の行燈は外国人デザイナーが制作した作品だそう。時に茅葺き屋根をトタンなど金属屋根で覆う保存は悲惨なことがあるが、ここの屋根は茅葺きの柔らかな印象を損ねないように曲げの工夫がなされているらしく、とても印象がよかった。こうした観光に使われる古建築は、始めこそお金は掛かるだろうが保存の方法にこだわれば結果が伴うのだ。

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祖谷そば(山菜)

祖谷そば - Wikipedia

手打ちそばのポソポソ感もなくツルッと食べられる。麺は短めで素朴な味わい。

衝撃だったのが画像右上の岩どうふ。硬い!木綿豆腐をギュッと圧縮したような硬さなのにちゃんと豆腐の風味があり、舌触りもボソボソしすぎずしっとりとしている。カッテージチーズを固めたパニールだとか、ああいうチーズを思い出させる食感。これは豆腐サラダみたいな和洋折衷料理にすごく合うんじゃないか?

459magazine.jp

岩どうふを食べるためだけに祖谷方面へ行く価値がある。こういう優れた食品が地方に埋もれて失われてしまうのは勿体無いな。世界に広まるポテンシャルがある。

 

少し車を走らせて、平家屋敷民俗資料館に到着。このあたりは壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武士が落ち延びたという伝説のある隠れ里で、家の主人は安徳天皇に従って落ち延びた医者の末裔だそう。

平家屋敷民俗資料館 | 徳島県観光情報サイト「阿波ナビ」

当家の祖先である堀川内記は、安徳帝御典医として治承~養和~寿永の頃まで宮中に仕えたが、平家の都落ちの折、安徳帝を供奉して屋島に逃げのびた。
平家滅亡の後、残党と共に祖谷に入山した堀川内記は、祖谷の山野に薬草が豊富なことに驚き、深山を散策して秘薬を採取した。当地ではこうして医業を庶民に施こしながら、神官も兼ねていたという。

伝承がどこまで信頼できるかは不明だが、戦国時代のころは地方の領主・名主クラスの家がその地域の神官を務めた例が多いので、少なくともその頃から当家が近郷屈指の名家だったことは間違いない。

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幕末から明治のころに建てられた主屋は一般的な茅葺屋根の農家よりも一段グレードの高い建築。

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こちらも立派な土蔵

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主屋の室内は展示室

展示品は江戸時代から戦前までの、この地方の庄屋の生活が垣間見られる質のいい生活雑貨など民俗資料。館内のところどころに生活感があったり、定期的に囲炉裏が使われ茅葺きの除湿・燻蒸(防虫)が図られているなど、ちゃんと"生きた古建築"でとても雰囲気がよかった。ここの入り口で飼われているわんちゃんもかわいかった。

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成人男性二人が 「かわい〜〜💕」と嬌声をあげながら写真を撮っていたのを見た資料館の人が「犬を可愛がってくれたから」と入場料を値引きしてくれたのもいい思い出だ。(値引き目的でかわいがるのはダメだぞ❣️)

 

さて、平家屋敷から車で15分ほどで、やっと目的地に到着。祖谷のかずら橋だ。

祖谷のかずら橋 | 徳島県観光情報サイト「阿波ナビ」

かずら橋の由来は、祖谷に巡行された弘法大師が困っている村人の為に作ったという説や、追っ手から逃れる平家の落人が楽に切り落とせるようシラクチカズラで作ったという説等諸説が残っています。

クリスマスのリースで使うような蔦で谷を渡って架けられた橋なのだが、ワイヤーで補強されているし定期点検や架け替えも行われている。

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遠目から見ると小さいが

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近くで見ると蔦が太くかなり重厚な雰囲気

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足元の隙間が大きく、踏み外しそうになる

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怖がるしょうたいむさん

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橋目当ての女子大生もいた。(しょうたいむさんご撮影)

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橋を渡った先には平家落人が琵琶を奏でたという琵琶の滝が

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滝を撮るしょうたいむさん

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女子大生グループのそばでしゃがんで滝を撮るしょうたいむさん

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谷川に降りて橋を見上げることもできる

 

ここまで徳島駅周辺から車で4時間以上かかっているので、また市街地へ戻るのは大変だ。今回はかずら橋から車で2時間ほどのところにある温泉旅館を予約した。

途中で見つけた美郷の梅まつりに立ち寄る。

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カメラの電池が切れてスマホでしか撮れず

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しょうたいむさんご撮影の梅まつり

梅の木にはあまり興味がなかったが、行って見たらすごかった。興奮。斜面いっぱいに植えられたいろいろな種類の梅の木がとりどりに咲く。あの重く品のある香りが空間に沈んで、日の入りと相まって幻想的な雰囲気に。まさに非現実。桃ではないが桃源郷を感じた。

ひとしきり楽しんで、宿に到着。

misatonoyu.com

ここもしょうたいむさんのおすすめ。吉野川市街地から山を入った場所にあるが、エントランスに薪ストーブがあったり客室も洗練されており、施設が整っていてとても心地よいお宿だ。いいところは山奥でも繁盛してる。

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薪ストー

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お部屋

一階のレストランは宿泊者以外も使用できる。ここで仙台出身の料理長が作る牛タン御膳とつけ麺を食べた。牛タンは仙台風の厚切りタイプで、むかし本場仙台で食べたものよりも火の通りや味付けがよくてめちゃめちゃ美味しかった。ぽいち~…。

その後、翌日お仕事があるしょうたいむさんを家まで送って就寝。周囲の環境が静か過ぎて、私の耳鳴りがうるさかった。

 

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今夜

 

‪ドラッグストアのレジで鼻炎薬の精算をしていたら、小・中学生時代の友達を見た。彼が先に私を見つけ、しまったという顔で後ろ髪を掻きながら立ち去る横顔を見た。そんな顔をされなければ私は彼を思い出す努力もしなかっただろう。

名前が一文字違いの縁で中学卒業後も親しくしていたが、高校の卒業直前に彼が引きこもりになって途絶えた。原因は、同じ高校に進学した同級生による虐めだったとも言うし、彼が彼の友人と一緒に山道で起こした交通事故によるとも言う。

私がこの話を聞いたのは成人式の同窓会の席だ。日頃から地元仲間でつるんでいる連中はよく知っていたようだが、私が訊いてもお茶を濁すばかりで詳しくは教えてくれなかった。いつの間にか彼らの間でこの話はタブーになっていたらしい。それもそうか。虐めていたと言われる男の仲良し連中みたいなものだから。

友達は野球部だった。いつも元気なおバカキャラだ。まぁ本当のバカではないのは知っていた。たまに辛そうな表情をする人だった。玉木宏に似た端正な顔で、笑うと目元に皺が出るのが印象的だった。

久々に会った彼はメガネを掛けていた。変わらず黒くて固そうな髪はゲイから見ればモッサリだが一般的な長さだ。定期的に床屋へ行ってるのだろう。元々肌は白い。少し老けたが、相変わらず綺麗な顔だった。ほんの一瞬の光景が鮮明に網膜に焼き付いている。

まるでUMAに遭遇したようだ。呆気にとられてレジ袋要りますか?の問いかけに要りません。と答えてしまい、店員からおつりと商品の入ったカゴを受け取る。顔を見るとその店員も同級生だった。気づかれていないかもしれないが、いつもより真面目な声でお礼を言って、サッカー台にカゴを乗せる。カゴの中のものを鷲掴みにしてそそくさと店を出る。レジに並んでいる間に見つけてカゴに入れたりんごグミを食べる。ドライフルーツのようでうまい。車を出す。