マルクの眼

千字一夜

おはよう


久しぶりに人に見られることを意識した文章を書こうと意気込むと筆が重くなる。実際には指が重い。瞼も重い。眠い。

何を書こうか悩むけどツイッターの話題は避けられない。私はツイッターから逃げた身なので、それを語る資格がない気がする。
上手く使っている人はいる。楽しんで使っている人もいる。私はどちらにもなりきれなかった。ツイッターでアクティブに活動するのは彼氏に任せることにする。

そう、この前彼氏と電話したときに、友人がツイッターを辞めたことをきいて驚いた。エロアカ以外で勢いのあるツイッタラーといえば、という感じの人なので影響は大きそうだ。同時期に彼氏のフォロワー20人?くらいがアカウントを消したらしいので、波及効果じゃないかなどと推測した。少なくとも別の友人がブログを始めたのはその影響なので、私には恩恵があったと言える。

ツイッターから生まれたペルソナの行方]

アカウントが削除されたらツイッター人格は本人の中に残るのか、それともアカウントとともに消えるのか。
ツイッター人格の依拠するところはツイッターアカウントか本人の人格内かという疑問。

思うに、ツイッターアカウント=役、本人=役者、ツイッター人格=仮面で、役者が仮面を被って役を演じるように、ツイッターアカウントを運営する人はツイッター人格を生み出す。
ならツイッターアカウントが削除されてもツイッター人格は本人の中に残るだろう。そのうち自分の作り出したキャラクターに浸食されアイデンティティを奪われそうだけど、逆に言えば理想の自分を演じ続ければいつかその自分になれなくもない、か。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
有名な、そして私の好きなマザー・テレサの言葉ですけど、これツイッターのことじゃん、と思った。ツイッターに限らずだけど。