マルクの眼

千字一夜

南無メンヘラ大菩薩


冴え冴えとした頭で書きたいことも、鼻炎で濁った思考では絞り出す文章が汚い。

体型・顔・偏差値・学歴・年収・家柄。

「そんなもの関係ないよ」と持たない人が言うと、コンプレックスだという。「持っている人が羨ましいなぁ」と同じ人が言っても、コンプレックスだという。

じゃあそんな話を振られた時はなんと言うべきのか。「ふ〜〜ん」「そうだね。」「持ってなくてごめんね。」

相手を自分の前に屈服させたいという腐った根性から始める会話は楽しそうだ。そういう逃げようのない会話に誘い込めば、相手がどう反応しても否定できる。

品性。

育ちがよく、家柄、学歴、ルックスともに申し分がなく、キャリアも素晴らしい人に、鳩山由紀夫がいる。

政治家としては非常に嫌いだけど、人間としては嫌いじゃない。

亡くなった政治評論家の三宅先生は、かなり厳しく鳩山政権を評価していたけど、「鳩山さんはお茶の相手としてはとても良い人」というようなことを言っていた。

害意がないし、自身に負い目や引け目がない。弱者のため、人に優しい道を常に選択しようとし、簡単に騙され利用される人、といった印象だ。

育ちの良さ、ここに極まれり。本当に満ち足りた境地にいる人はこんな感じ。
品性がある。知性はない。

対して、中途半端に他人に誇れるものを持つのに自身の置かれている状況が自分の理想から程遠い人は、自身のプライドを守るために他者を自分の下に位置づけし、自身の精神の安定を得ようとする。

そうして不安定に積み重ねられた自己は、より優れた人と接したときに大きく揺れてすぐ崩れる。そしてまた自分の理想に届くために人を踏み台にしては崩れ、また試みては崩れ。

そういう人間は大きな企業や役所の中間管理職に多いように感じる。拗らせ系ってやつ。弱い他人を食い物にしてのし上がっても大して出世できないのがお笑い。本質的に仕事ができる訳ではないから。

要は色即是空、空即是色なワケで。
目に見えるものや数値に表せるものは全て虚しい。
「いま幸せですか?生きていてよかったと感じていますか?」という質問に「はい」と答えられなければ全て同じ。

むしろ「いいえ」と答えた人で、見た目や収入・高学歴・高偏差値を手に入れてしまっている人は、より深い闇にいる。
それらを得ることで幸せになれないことが決定しているから。

持っていない人は、幸せになれる可能性が残されている。

屈服するかな?