マルクの眼

千字一夜

乳と×


ブレンディのCMのこと、どう思いましたか?

私は、不愉快に思わなかった。
心にモヤっとしたものはあるけど、それで「日本の恥だ」「醜悪だ」とかそんな事を言う気にはならない。

過去にどこかの牧場も「品行方正な牛を育てています」とお嬢様学校に通う牛のCMを作っていたけど、完全に擬人化していなかったからか叩かれなかったね。

私のあのCMへの解釈は、ものすごい毒を含んだ畜産への皮肉を感動テイストでまとめるというブラックユーモア。ついでにそれをコーヒー会社が使うという点もブラックユーモア。

卒業と出荷は、若者の旅立ちという点で共通してもまるで逆の位置にある。高校を卒業して人間の進路が別れていくことと、およそ性別だけで一生が決まる幼牛を重ねて対比させている。

実際に日本で飼われている畜牛はロデオや闘牛、動物園に売られることはほぼない。だいたいオスなら肉、メスなら乳。かなりシビアだ。

それを敢えて人間のように複数の進路があるように見せ、実際には本人の意思に関係なく進路を決める。
ここで選択権がない牛の不条理がはっきりと浮かび上がる。

しかし、華がある女子が希望の動物園へ配属されるところで、努力と素質次第によっては希望の進路へ進める可能性が示される。それによって、主人公の努力と挫折、家族の励まし、結実へと至る流れが導き出される。ここの出荷を感動の卒業式っぽくしているところ、エグい皮肉だ。

その過程で女の子の巨乳を映して、この子が乳牛であることを示唆して何が悪いのか。それまでの流れを見れば必然的なカットだ。ここである程度、結末を予想させる。

主人公を牛が擬人化した存在としてみれば、受け手はなんのエロスも感じない。そこでエロスを感じる要素を一切排除しなかったのは、バカ共への目眩しだ。このCMがブラックユーモアたることを示しているだけで、本質ではない。

女子高生の話として捉えると母乳がコーヒーに入っているような気がして確かに気持ちが悪い。しかしそこは企業のCMだ。作者の意図がそこにないということを逆に推し量れないものだろうか。

最後の校長のセリフと顔が気持ち悪いという人もいた。それも女子高生として捉えればそう見えるかもしれないが、校長役の人の顔は全く気持ち悪くないし、卒業式の雰囲気をよく出してる。この点は観る目が曇っているとしかいいようがない。

変にフェミニズムを振りかざすあまり、乳牛プレイなど自身のフェティシズムを露わにする人がいて滑稽だ。

そもそも論として、人間の高校生を家畜に例えるのがおかしい、不愉快だというけれども、じゃあ牛の立場は?それは人間の傲慢では?
同じ生命なのに、生きる道の選択もさせず、こちらの勝手で殺して肉にしたり閉じ込めて乳を搾取されるだけの存在にしたり。家畜の権利を奪っている当人が、人間と家畜と一緒にするな、なんてどの口で言うのか。アニマルライツの話になるぞ?

そう問題意識を持っていても肉を食べることは止められないし、牛乳も飲みたい。そんな矛盾を孕んだ意識への批判めいたものもあのCMにはある。

話が広がったので整理すると、あのCMの企業としてのメッセージは「選ばれた牛から採れる濃い牛乳を使用しています」
CM製作者の意図は「矛盾に満ちた畜産と消費者を皮肉り、畜産が盛んな国をチクリ。心に残るCMにする。」

おそらくブレンディ側もCM制作サイドと打ち合わせする段階で色々考えたと思うが、これにOKを出したあたり、ブレンディの器の大きさを感じる。
コーヒー会社が自社のCMとして用いる必然は感じないけれど。

今後株価が下がるか分からないけど、私はブレンディが批判されっぱなしなのには納得ができない。不愉快なCMとして紹介されればそりゃ不愉快に見えるだろうよ。不愉快な理由なんていくらでも探せる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いんだから。

普段、「感情論で多数派とったもん勝ちみたいなのが嫌い!」と公言する人に限って、こういうところは平気なんだよな。不思議だ。