マルクの眼

千字一夜

これからの

●ゴリラの死生観

手話を使うゴリラのココが先月19日に亡くなった。「ゴリラは死ぬとどこに行く?」という問いに対し答えた“Confortable,Hole,Bye”(快適な、穴、さようなら)が、死去のニュースと共にツイッターで話題になっていた。ココは他でも「ゴリラの死」について穏やかなものと回答しているが、仲の良い研究者やペットの猫の死について話を振られると取り乱したそうだ。仲間の死に心的動揺を受ける共感力の高さに驚くとともに、この心的ショックは豊かな感情を手に入れる過程で人類が直面した苦難の一つだったのではないかと考えた。

※手話を使うゴリラの研究については昔から批判が多く、彼女らが言語を正しく理解していたのか、あるいは偶然だったのか、議論が分かれている。

●人類と宗教

数万年前、ホモ・サピエンスが勢力を拡大した背景に信仰による結束があったとNHKスペシャル「人類誕生」で研究者が語っていた。具体的な信仰についてはシャーマンによる豊穣祈願(主に狩猟)のような演出がされていた。しかし、文化的交流のない世界のあちこちで宗教が生まれた理由が「豊穣の祈り」だけというのは信じがたい。心理的な作用として宗教を生み出さざるを得なかった必然があるはずだ。ゴリラの死生観と関連づけるならば、自分自身や身近な存在の死に対する防衛機制として、死後の安楽を保証する信仰が生み出されたのではないかと考えている。

●補完するもの

2400年前、シッダールタは「生」「老」「病」「死」という四苦を目の当たりにして人生の苦しみを悟った。この苦しみに「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」の四苦を加えた八苦がいわゆる四苦八苦というやつだ。「愛別離苦」は愛するものと別離する苦しみ。この苦しみや愛ゆえの煩わしさがあるので愛するものから離れて孤独に生きることを初期仏教は推奨している。「別れが辛いから別れる」という教えの解釈は難しいが、愛する人との死別など、予期せぬ別れからの逃避としては納得がいく。人は愛する人との突然の別れに耐えられる強さを生まれついては持っていない。「宗教は弱い人間のためのものだ」という言葉を聞くが、宗教は人間が本質的に持つ脆弱さを補うために作られたプログラムだと考える方が宗教発生の説明もつく。

●共有できるもの

2500年前、孔子は終生心がけるべき人の徳として「己の欲せざる所は人に施す勿れ」と説いた。私たちの価値観や正義は様々な顔を持っていて一様ではなく、完全にお互いを理解し合うことは難しいが、全ての宗教が共有できる感覚に「愛する人を失う痛み」がある。教義宗派を超えて理解しあえるのがその痛みなら、痛みを人に与えないことが平和への最短ルートだろう。現代の人々は宗教を脱しつつあるが、その痛みからは逃れられていない。

●死をもたらすもの

2000年前、イエス・キリストは言った。「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。」(マタイ7.1-5)

私たちの大切なものを奪う原因は事故や病気・老いだけでなく、思想にもある。生き方の自由を奪い、心を追い詰め、人を死に追いやるような心無い批判・罵倒、価値観の押し付けは恐ろしい人権侵害で、本来は全ての人が立ち向かうべき問題だ。なぜならそれを黙認すれば、いつか自分や自分の周囲に同じ災いが降りかかるから。思想・表現の自由も、税金の大切さも、生命の尊さの前には軽い。

●無理解の解決

悲しくも、今回の騒動は渦中の人自身が「人は変わらない」と宣言をしている。本人が変わらないなら、その上や周りの人を変える“政治的働きかけ”しかない。私が一番危惧しているのは、今回のことで保守政党とLGBTQとの間に深い溝ができて完全に断絶してしまうことだ。LGBTQからは票を集められないと見れば、保守政党はわざわざ労力を使って理解を深めたり、支援に関わろうとはしないだろう。LGBTQは保守・リベラルといったイデオロギーに左右されない基本的人権の問題。むしろ理解の少ない保守政党とこそ積極的に意見を交わして理解を深めさせ、支援を約束させるべきだろう。自分がこれからできる活動について、あれこれ考えている。

 

終わり