マルクの眼

千字一夜

新訳山月記

 

同性愛者の遼介は博学多才、中学二年次 県美術コンクールで入賞、高校は地方の進学校に入学し吹奏楽に励んだが、性格は傲慢、自尊心が強く、サラリーマンで人生を終えることを潔しとしなかった。芸術の道へ進むと決めた後は、都内の有名美術大学へ進学し、ひたすら制作に励んだ。サラリーマンとなって長く頭を俗悪な上司の前に垂れるよりは、芸術家として自由で洒落た生活を送ろうとしたのである。

しかし美大での成果はなかなか揚がらず、卒業は目の前に迫っている。遼介は漸く焦燥に駆られてきた。この頃からその容貌も険しくなり、肉落ち骨秀で、目付きのみ徒らにギョロギョロとして、かつて北上尾で生活した頃の神童の美少年の面影は、何処にも求めようもない。数回の留年の後、周囲の圧力に堪えず、生活のために遂に節を屈してサービス業に就職することになった。一方、これは、己の才能に半ば絶望したためでもある。高校の同窓は都内で就職し遥か高所得となり、彼が昔、俗悪だと歯牙にもかけなかった同性愛者から同衾を拒まれることが、往年の秀才遼介のプライドをいかに傷つけたかは、想像に難くない。彼は東京を楽しまず、狂悖の性はいよいよ抑え難くなった。

一年の後、研修で大阪に出、梅田近くのホテルに泊まった時、遂に発狂した。或る夜半、急に顔色を変えて寝床から起き上がると、何か訳の分からぬことを叫びつつそのまま廊下へ飛び出して、闇の中へ駆け出した。彼は二度と戻って来なかった。友人がツイッターで情報を呼びかけても、何の手掛かりもない。その後、遼介がどうなったのかを知る者は、誰もなかった。

 

翌年、同性愛者、文京区の悠太という者、友達と新宿で飲み過ぎ、行き着いたハッテン場に宿った。薄暗い店内に出発しようとしたところ、受付の若者の言うことに、今日は空いているから、あまりいい人がいないかもですね、と。悠太は若者の言わんとすることを悟ったが、ここへは寝に来ただけだからと、色目を振り払い、迷路に足を踏み入れた。

僅かな照明を頼りに空いた個室を探していった時、果たして一人の男が暗闇から手を伸ばした。男は二の腕を掴んだが、振り返った悠太の顔を見て、忽ち身を翻して個室の中に隠れた。個室の中からくぐもった声で「あぶないところだった」と繰り返し呟くのが聞こえた。その声に悠太は聞き憶えがあった。不愉快の中にも、彼は咄嗟に思い当たって、叫んだ。「その声は、我が友 遼介ではないか?」悠太は遼介と同じ頃に東京で暮らし始め、友人の少なかった遼介にとっては、数少ない親しいゲイ友であった。温和な悠太の性格が、気難しい遼介の性情と衝突しなかったためであろう。

個室の中からは暫く返事が無かった。店内のBGMが虚しく響くばかりである。ややあって、低い声が答えた。「いかにも自分は北上尾の遼介である」と。

悠太は酔いも忘れ、個室に入って影に近づき、懐かしげに旧友に話しかけた。そして、なぜ顔を見せてくれないのかと問うた。遼介の声が答えて言う。自分は今や異形の身となっている。どうしてモテ筋の友の前にあさましい姿を晒せようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に嫌悪の情を起こさせるに決まっているからだ。しかし、今、図らずも友に遇うことを得て、遠慮の気持ちをも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な外見を厭わず、かつて君の友遼介であったこの自分と話を交えてくれないか。

後で考えれば不思議なことだったが、その時、悠太は、この偶然の再会を実に素直に受け入れて、少しも怪しもうとしなかった。酔いの覚めた彼は、入り口の傍に座って、見えざる声と対談した。都の噂、フォロワーの消息、悠太の現在の生活、それに対する遼介の祝辞。20代に親しかった者同士の、あの隔てのない語調でそれらが語られた後、悠太は、遼介がどうして失踪に至ったかを訊ねた。薄闇の中の声は次のように語った。

今から一年程前、自分が社員研修で梅田あたりに泊まった夜のこと、MNJで出会った男と致してから、ふと眼を覚ますと、誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中から頻りに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。 無我夢中に駆けて行く中に、いつしかあたりが赤くなり、しかも、知らぬ間に自分は左右の手を掴まれていた。何かが身体中を押さえつけるような感じで、何処かへと運ばれて行った。気がつくと、手足をベッドに拘束されているらしい。少し明るくなってから、首を動かし辺りを見ると、病院に入れられていた。

自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然とした。そうして懼れた。両親を泣かせ、警察の世話になったのだと知って、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。何かも分らずに押付けられたモノを大人しく摂取して、理由も分らずに収監されるのが、我々ホモのさだめだ。

退院日、自分は直ぐに死を想うた。しかし、その時、眼の前で二人の男が公園の便所に入るのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の手は体液に塗れ、あたりにはちり紙が散らばっていた。これが異常動物としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、Instagramも更新できれば、複雑な思考にも堪え得るし、音楽やアートを楽しむことも出来る。その人間の心で、異常動物としての己の獣欲のあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情けなく、恐しく、憤おろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうしてクソホモなどになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己はどうして以前、健全だったのかと考えていた。 これは恐しいことだ。今少し経てば、己の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えて了うだろう。ちょうど、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹のホモとして踊り狂い、今日のように街で君と出会っても友と認めることなく、君で抜きまくって何の咎も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切なく思っているだろう!己の人間らしい倫理のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じクソホモに成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了う前に、一つ頼んで置きたいことがある。セックスしてるところ見せてください!