マルクの眼

千字一夜

流されていくこと

街の灯りが綺麗なのは、人の命を燃やしているからだと言う。言ったのは私だ。

 

"何気ない日常"という言葉で括られない人生のうちの貴重な1日をただ無為に過ごすことに罪悪感を覚えられるのは我々の感性が人工知能より勝れている点だろうか。

 

流転しなければならない万物も諸行無常な物質世界も私たちにとってはただ一時の気の迷いにも似た経験に過ぎず、その荘厳な流れによって渦巻き逆立てられ発生せざるを得なかった力を感情と呼ぶならただ無為に過ごす日々に心を弄ばれるのも必定と言える。流される笹舟か立ち止まる水車か。全て法則に従って移ろい続けるエネルギーが私たちの身をいつか壊すとしても私たちは絶えず行くその流れを受け入れ砕けわれても末に会うことを願いながらその日を待つしかない。

 

台風が去った翌日の朝、まだ落ち葉や枝などがびちょびちょと道路を埋め尽くし水の匂いが立ち込めるその中を神聖な気持ちで歩いたその時、等しく私たちは祝福を受けている。

 

時に燃え、流れ、回り、刺さる、目に見えないエネルギーに私たちが意味や理由を問うことの意義をこそ私は問う。

 

 

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