マルクの眼

千字一夜

クローン人間の活動について 前編

■前夜

古くから語られる陰謀論の1つにクローン人間によるスパイ活動がある。不老不死のサン=ジェルマン伯爵をクローン人間とする説があるが、私の知る限りで最も古いクローン計画は1920年代初頭のイギリスで始まったものである。

■発端

第一次世界大戦の傷跡も生々しい当時、ヨーロッパの民衆は世界が再び戦火に包まれるとは露ほども思っていなかっただろう。しかし戦勝国を中心とした欧米の首脳は"このままでは終わらない"という危機感を抱いていた。不安定な世界経済と領土を巡る小競り合いは尚続いており、特に人種差別思想も相まった日本への危険視は米英とも根強く、ワシントン会議での海軍軍縮、四カ国条約締結とそれに伴う日英同盟の失効は日本を強く抑圧する結果となった。

その頃、戦争(軍需)大臣を退任したウィンストン・チャーチルは、日本の暴発を危惧しアジアに潜入する諜報員の必要性を訴えた。これを端緒として、イギリスは国費を投じたSIS(MI6) クローン工作員作戦を計画したのである。

■経緯

そもそもチャーチルがクローン計画に注力するようになった原因は第一次世界大戦に於いて自身が立案した"ダーダネルス戦役"の大敗にある。この戦いでイギリスは2万人以上の屈強な若者を失い連合軍への面目を潰した。失策を責められ政治的挫折を経験したチャーチルは、これ以来 大規模な軍事衝突よりも諜報・工作活動を好むようになったと言われる。

■作戦

東アジア系女性クローンによるハニートラップ、具体的には日本軍将校からの機密情報入手、陸軍・海軍の対立扇動など、軍内の瓦解を目的としたこの作戦は、''不和の林檎計画''と名付けられた。

■栽培と育成

クローンのオリジナルとなった少女は南米で保護された日系人孤児である。クローン人間の"栽培"方法は''不和の林檎"中の最重要機密であり外部に殆ど漏れてこない。が、"あらゆる点に於いて人間とは異なる"方法で生まれ、育てられるのだという。本国にある研究所では毎年2人のクローンを収穫し、専門教育を施している。

クローン工作員は旅芸人として活動するため、歌唱・舞踊・楽器演奏・演技・会話術から賭博まで、技芸娯楽全般にわたる指導を受ける。最初期はその道の専門家複数人による教育プログラムがあったが、年嵩のクローンが増えるにつれ彼女らが文字通り先生となって幼いクローンを養育する方式が取られるようになった。

■利点と誤算

定住せず、深い人間関係を築かない旅芸人はクローンにとって誂え向きの職業である。また、旅芸人の慰問公演は軍人にとって最大の娯楽であり、戦時下でも比較的自由な往来が認められる職業であった。

しかし、準備が整い計画が実行に移される頃、既に日本は盧溝橋事件、パールハーバーアタックと泥沼の戦争へ突入していた。歴史に''if"はないが、イギリス式教育を受けた日本海軍を偏狭な陸軍と対立させ、"クーデターを計画した国賊"として陸軍を粛清する離間工作が成功していたならば、現在知られる関東軍の暴挙はありえなかっただろう。かくてクローンは本国では「満州国、中国内陸部を転々としながら情報収集を行うつまらない存在」と見られるようになり、事実として活動はそんなところであった。余談だが、クローンの一座が慰問興行によって得た収入は莫大であり、諜報及びクローン栽培の資金として大いに活用された。"不和の林檎"が当時のイギリス戦費を圧迫したというのは陰謀論者の錯誤である。

第二次世界大戦

二発の新兵器が炸裂し悲劇的な終末を迎えた第二次世界大戦。無用の長物となりお払い箱かと思われた"無能クローン工作員"には次なる任務が与える。アメリカの下で"反共の防波堤"の役割が期待される日本国内に於いて自由主義・資本主義の賛美、反共プロパガンダを行うというものだ。だがこの任務も当初は順調とはいかなかった。というのも、その頃ソ連KGB先の大戦中に満州で捕らえたイギリス製のクローン工作員を研究・改良し、自国産クローンの製造に着手、ついに実用段階に入っていた。クローン分野に於いて先行するイギリスも、ロシア革命時から改良・洗練されてきたボリシェヴィキの諜報とプロパガンダの技術の前には成す術なく、世界初のクローン工作員対決はソ連に軍配が上がった。こうして日本は安保闘争から全共闘学生運動の時代に飲み込まれていったのである。しかし、イギリスも手を拱いていた訳ではない。70年安保の時代には、ベトナム戦争を収束させつつあったアメリカと協力し左派の内ゲバを誘導、学生運動の無力化と民心の離反に成功した。

この後、イギリスは共産主義の封じ込みを目的とした欧州諸共同体の拡充に注力し始め、日本国内のクローンは実質活動停止となる。

 

続く