マルクの眼

千字一夜

魂・支配・黄泉還り


安い言葉を買いたい。浅薄、凡俗、愚昧な人から賛辞を送られるのってどんな気分ですか。私にも送ってほしい。

真っ直ぐに世界と自分を捉えた勢いのある歌が広く世間に持て囃されたとしたら、作者はいつまで最初のスタンスで歌詞を書けるのですか。

劣き私の頭脳では到底分からないのですが、足りない知恵を絞ってみると、大衆の下卑た声が元々の性格を捻じ曲げて常に高尚を低俗に引きずり込んだのだろうと思います。

特定のイデオロギーに属する人と一部意見が一致すると、その思想に引っ張られどんどん傾倒してしまう人が多いのは衆愚の極みですが、ネット上でニュースを読み自分が感じたことと同じ発言をしている人を見つけるとつい共感の意を表明してしまいませんか。

それを繰り返すうちに自分も文章で意見を表明したくなり、表明した意見に賛意が示されると喜び、同じ系統の意見を表明する強烈な動機に。

行き着く先は、意見に賛同或いは反対の意を示す人がそれほど多くないにも関わらず意見表明が求められているかのように錯覚し情報発信を続けるネットニュースゾンビです。

宗教で言えばカルト教団の狂信者であり戦時はバーサーカーとなってみんなの為に戦う人です。自称みんなの為に戦う人です。よろしく。

公に示された意見は等しく批評の対象になり得るという考えるようですが、それを正しいとするなら、その批評文すら批評の対象になります。

絵画を見る際、鑑賞の手引きとする文章を間違えると絵を三分の一も掴めず、絵の偉大さを貶す愚かな人間の一人に成り下がりますよね。

批評なんてくだらない。鑑賞の手引きなどというバカバカしいものは捨てろ。と言えたら素敵ですが、そもそも解説はないものとして楽しんでよし。現代アートにも等しいネット上の文章なんて特に解説があればあるだけ恥ずかしいので早く死んで遺作にした方がいいと思います。

批評もそう。批評そのものが批評文を書く人間及び文章そのものへの解説の性格を内包している故に、批評文は批評する価値がないほどバカバカしいので批評対象にならなかったのだと思います。

ブーーーーーーーンとオートバイが外を走ったのでそろそろ寝ます。

「ブーーン。気の抜けたオートバイの排気音が夜に響いた。窓から外を見たが、すでに二輪駆動の姿はなく、ただ月がアスファルトをうっすらと照らしていた。そうか、もうすぐ十五夜だ。ハァ。思わず浅い息をついた。」

こうですか?分かりません。笑