マルクの眼

千字一夜

ワーグナー的病理と是正


「病んでないゲイなんていない。」
その真偽は。

経験的に、ゲイに病んでる人は多い。

ゲイとは病みやすい者なのか、あるいはゲイであることがゲイを病ませるのか。


当時の某都知事が「同性愛者はちょっと足りない」発言をした際、日本のメディアは全く取り上げなかったらしい。

そりゃあね。

大卒の芸人がまだ珍しかった頃に、テレビ的にいう「オカマ」にインテリジェンスが求められたと思わない。

その意味で美輪明宏は偉大で異質な先人だ。
ド派手なイロモノであっても、品格があった。

後に続いたファッションや映画・メイクなどにギャーギャーとうるさく口を出していたゲイタレントはテレビで生き残りたかっただけ。
その方法が騒ぐことだっただけ。

三島由紀夫文学に造詣があるタイプは、耽美な文学的同性愛とテレビで見るおすぎとピーコに折り合いはつけられない。

そういう意味で、前記の発言に至るのは理解できる。

私世代のゲイから、テレビに出ているオカマタレントやレインボーパレードで筋肉を見せつけるゲイを批判する声があった。

「恥ずかしい。同性愛に対する偏見を助長する。」という。

そもそも同性愛が罪とされたり、存在しないものとされる国があるのに。

日本がそうならなかったのは、「ちょっと足りない」と言われながらも人前に出続けた人たちがいたからじゃないのか。
ブスの双子ですら、テレビに出ていた意味はあった。

海外のドラマや映画で主人公のファッションや恋愛に口出しする辛口だけど優しいおゲイ。
切なく可愛い恋愛をするボーイズラブ
ハリウッド俳優やアーティストのカミングアウト。

いろんな角度から同性愛が浸透・氾濫してる今の世代はめちゃくちゃ恵まれてる。
同性愛に対する間口の広がり。

だからこそ、「普通のゲイもいる。人間としての自分を見て。」という主張もできるようになった。

二世代前に生まれて同じこと言えんの?

常に自分に対する周りの反応の是正を希求する姿勢は素晴らしいけど、上の世代には贅沢な要求に見えるだろうし、反発は必至だ。

小川はゆっくりと大河になる。

そのうちに、ゲイであることに負い目を持たない世代が現れる。

その時、元々ゲイは体質・性質的に病みやすいのか、ゲイであることの負い目がゲイを病ませたのか、結論が出せるだろうか。