マルクの眼

千字一夜

✴︎☆カワウソさま☆再発見☆✴︎

先日長崎県対馬ツシマヤマネコの調査を行なっていた琉球大学の調査チームがカワウソさまの撮影に成功したそうです。たまたま写り込んでしまったと教授は言っていましたが、もしこれがニホンカワウソならば絶滅種の再発見ということで、絶滅種指定の取り消しと野生下での生息として野生絶滅よりも一歩進んだ指定のやり直しなど受ける可能性もあり、ますます目が離せませんね。

しかしユーラシアカワウソという近縁のカワウソさまも対馬からほど近い韓国には現生しているので、朝鮮半島から渡って来たものである可能性も捨てられません。が、50キロもの長い距離を休憩なしで泳ぐとは考えられないので、台風など何らかの災害によって漂着したと考える方が自然です。周辺のフンから採取したDNAによれば二個体のカワウソさまだそうなので二匹一緒に流されてきたとすれば何らかの意思を感じます。或いは一群で生息しているのなら対馬の特性上何度となく流されてきたユーラシアカワウソとニホンカワウソとの間で混血が進んで今回発見されたカワウソさまに至った可能性もありますし、現に最後までニホンカワウソが生息していたと考えられる地域の一つに同じく長崎県五島列島があるのでここにも何らかの意思を感じます。

私はかれこれ15年ニホンカワウソの消息を追い続けて思い出すたびに検索しては最新情報を得ていましたので間違いなくカワウソさまは絶滅していないと信じていたのですが肉体が滅んでもカワウソさまの霊体が生息していることにも気づいていました。カワウソさまは身を必要としない上級思念体の一つであり狐や狸・猫・モモンガなどと同じ種族に挙げられミズハノメ=水の神の眷属であるからして毛皮目的の狩猟や護岸整備などの人為的要因で絶滅したように見せて実のところ山で冬を過ごし春に田畑を潤しながら秋の実りをもたらしていたのです。(サの神の信仰)しかしなぜ今のこの時に姿をカメラの前に現したのかあの映像を観てハッキリと分かりました。カワウソさまの動きは最後通牒です。対馬は大きな船ですので二匹のカワウソさまはノアの箱舟に乗せられた動物のつがい、次の世界へ子孫を残すことを天上帝に許されました。見つかったのが四国ではなく長崎だったことは日本のキリスト教聖地であり多くの聖人の魂で満ちた場所が長崎ですし最後の生息地の一つ五島列島は有名なカクレキリシタンの土地である意味からして長崎は上級思念体が魂を隠すのに最も適した地です。今導きを受けて私がカワウソさまを見た意味はこのブログを書かせようというのだと思います。カワウソさまは今の日本を危惧して語っています。「朝鮮半島由来の血か日本の血かがそれほど重要だろうか。命を愛しそれぞれの愛を育てなさい。さもなくば日本は水底へ沈み動物だけが残るだろう。」もう一つのメッセージがあります。大きな船の対馬ノアの箱舟でもあり巨大なイージス艦でもあります。映像の中でカワウソさまはカメラに向かって二、三度跳ねて見せて最後にミサイルのように真一文字になりフレームアウトします。これは「挑発をやめよ。ミサイルの発射を食い止めよ。さもなくば人類が滅びる。」なぜ今対馬で絶滅した(と一般人に思わせ悠々と暮らしていた上級思念体の)カワウソさまが(わざわざ)カメラの前に姿を現したのか。「彼らの思い通りに世界を地上の地獄にはさせない。」カワウソさまの映像を見て気づいた他の皆様とつながりたいと思います。

 

長い夢

寒村に住んでいて辛いのは春のこの時期だ。少しずつ伸びていく日照時間に誘われて、骨だけになった木々が、新たな緑の衣を纏っていく。太古から未来永劫そこに在るかのように思われた分厚い雪も、生命の息吹に身を溶かし土を汚いぬかるみに変える。山や生き物が再生ボタンを押されたように動き出す。またこの季節だ。

ここを出ようか、なんども考えた。

ニュースといえば「町に鹿が出た」くらいのこの場所では、テレビやインターネットで知る情報はただの情報であり現実ではない。言ってみれば、ヴァンパイアとパリピはここでは同じ架空の存在なのだ。或いはどちらも現実かもしれない。目で見たことが事実、見ていないものが虚構ならば、ここに住む僕にとって大抵のものは虚構だ。「人は死ぬ」みんなが言う。僕も人の死は見たことがある。昨年81で祖母が亡くなったときは、遺体の冷たさと硬さに驚いた。だけど、どうだ。自分が死ぬところは誰も見たことがない。一番存在が確かな自分の死を見たことがないのに、「人は死ぬ」なんて疑いようのない真実のように言う。現実主義のようで、神を見たことがない人が「神はいる」と言うのと変わらない。多くが身近に存在しない、虚構の実在を信じるしかない僕は、いつもそんなことを考える。昔からそうだ。

こってりネギチャーシュー麺を頼んだのに、食べているラーメンにはネギがのっていない。セルフサービスの水を汲みにいくフリをして券売機に並んだ文字列を確認する。こってりラーメン、こってりネギラーメン、こってりチャーシュー麺、辛味こってりネギチャーシュー麺。僕の買った900円の食券はこってりチャーシュー麺のそれだった。その並びならネギがのっていると思ってもおかしくないだろ、と一人憤ってみるが、この辺りに一軒しかないラーメン屋の店主と気まずくなりたくはない。店主は僕の同級生の父親の親友だとかで、学生の頃は部活後、件の同級生に誘われて来店し、煮卵をサービスしてもらった。店主は僕の顔なんてとっくに忘れているだろうが、この辺鄙な場所にまあまあ食えるラーメン屋があるだけでもありがたい。よく見れば、チャーシューの上にお気持ち程度のネギも乗っているではないか。うんうん。結局、気持ち次第だ。

神棚の隣に据えられたブラウン管のテレビは、黒い画面に店内を虚ろに映している。この村だって、地上デジタルに移行したのはずいぶん前だ。人間は自分の得にならないことはしない。店主だって自分の立つ厨房から見えない地デジのテレビなぞ買いたくないだろう。それこそ虚無を買うようなものだ。それを分かっているから、常連客も指摘はしない。

ガララッ。アルミサッシの扉が開く。入ってきたのは鹿だ。入って来るなり、ブラウン管のテレビを見つけて震え出した。白い顔を怒りに染めて激しい手振りで抗議を伝えている。「らっしゃーい。注文は券売機でー」ろくに客を見ていない店主がトンチンカンな言葉をかける。「地デジカ…」僕は呟いた。そうか、今朝のニュースで鹿が出たと言っていたのはこれだったんだ。意思が伝わらずもどかしいのか、地デジカはヒートアップして今にも店主に襲い掛かりそうな勢いだ。「大丈夫!あのテレビ、地デジチューナーがついてるから!」僕は慌てて立ち上がって、口からでまかせの嘘をつく。すると、地デジカの顔はみるみる白くなった。心なしか微笑んでいるようだ。満足したように頷くと、地デジカは店を出て行った。ガララッ。扉がしまる。「なんだ、あいつ地デジカかよ」振り返ってそう呟いた店主は、「お兄ちゃん、たか坊のお友達だろ?悪かったな。これ、いつものサービスね」そう言って、麺もチャーシューもなくなったこってりスープの中に煮卵を投げ入れた。冷めて脂が固まりはじめたスープに沈む煮卵を見て、僕はこの村を出ようと思った。

 

徳島

旅行記が苦手。この記事も導入部分でつまずいて1月以上も頭を悩ませた末に書いている。なるべく淡々と簡潔に。

 

徳島に行ってきた。徳島はいいぞ。空気がいい。人もいい。たぶん。

www.awanavi.jp

後ろに座ったサラリーマンの足があまりに臭くて眠れなかった夜行バスの旅が終わり、徳島駅に着いたのが朝6:30。徳島駅周辺は至る所に阿波踊り銅像や幟、シールの貼られた自販機などがあり、異様。

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ポストの上で踊る人たち(cawaii)

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自販機の側面

www.tokushima-coffee.co.jp

長野駅前が善光寺の雰囲気に呑まれてるのと同じで、有名な観光資源に頼るのは地方都市あるあるだ。沖縄はエイサーの銅像こそないがシーサーは至る所にいる。

レンタカー屋の開店までマクドナルドで数年ぶりの朝マックを食べながら前夜に買ったばかりのカメラを組み立てて時間を潰す。

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お土産のハーバーin徳島のマクドナルド

レンタカー屋で現地コーディネーター兼通訳のしょうたいむ🌝さんと合流し、眉山に登る。眉山の名前はどこから見ても眉の形に見えることから。

眉山 (徳島市) - Wikipedia

まず中腹の忌部神社に寄る。

忌部神社 - Wikipedia

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 古代豪族の忌部氏が勢力を誇った阿波国。その阿波忌部氏の祖神を祀るのがこの神社。

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人はいなかったが招き猫がいた。

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寂しい人に猫は懐きやすいというが…

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猫と歩く

眉山は市街地からすぐの割に標高がそこそこあり、頂上からの見晴らしがよい。県庁や港、天気がいいと紀伊半島まで見えるそうだ。

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ロープウェイが人気らしい。とくしま88景

 

次に市街地にあるしょうたいむ氏おすすめのいちご大福のお店へ。

和菓子処 福屋トップページ

徳島市佐那河内村では「桃のように大きく、ジューシーで甘い」という「さくらももいちご」がごく少数の農家でつくられています。ジューシーで、そして、甘く柔らかい香りの「さくらももいちご」を真白で柔らかな餅でそっと包みました。

さくらももいちご-イチゴの品種:旬の果物百科

「ももイチゴ」のワンランク上のブランドイチゴとして2008年から流通が始まった新しいイチゴで、非常に品質が高く、またとても高価なプレミアムイチゴとして扱われています。

さくらももいちごは「ももいちご」と同じく、一つの株に8個前後しか実がならないように摘花(てきか)し、一粒一粒に栄養を集中させる栽培方法がとられ、出荷に際しても甘さ、傷、食味等の厳正なる審査を受けて、それを、クリアしたいちごしか出荷されていません。

"さくらももいちご"という某漫画家を彷彿させる名の巨大ないちご。流通量が極端に少ない激レアいちごだそうだ。その為、大福"さくらももいちごの里"は1つ720円と高価。

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クール便でご自宅にもお届け

ももいちごの里通信販売

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amazon並みの梱包(かわいい)

いちご大福を手に一路、県西の祖谷(いや)地方へ向かった我々。休憩も兼ねて途中の阿波PAで大福を食べる。一口目からいちご果汁がじゅわっと溢れ、白あんのサラサラした舌触りと合う。甘すぎない白あんといちごの酸味と甘味、そして素晴らしく上品な香り。ぽいち~…。

PAのトイレのそばに「土柱→」と書いた看板が立っていた。気になってたいむ氏に訊ねると「阿波の土柱」という珍しい地形の天然記念物があるとか。世界三大土柱!阿波PAの裏に高速外へ通じる道があり、徒歩10分ほどで辿り着く。

土柱 - Wikipedia 

日本では、「世界三大土柱」として、ティロル地方(イタリア)・ロッキー山脈アメリカ)・徳島(日本、「阿波の土柱」)があげられることがあるが根拠は不明である。

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土柱旅館や土柱温泉、お土産物屋が並ぶ。かつては観光客で賑わっていたのだろう。寂れた観光地を見ると千と千尋の神隠しを思い出す。(※調べたら現在でもバリバリ現役の観光地として団体研修などを受け入れているようです。失礼しました。)

ここの広い駐車場は地域掲示板利用者の待ち合わせに使われているそうだ。伝われ。

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肝心の土柱がこちら

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岩肌が風化によって削られている。正直あまり期待していなかったが、目の当たりにするとなるほど感じ入るところがある。これもとくしま88景。

さらに西に向かう。山深く道もうねる。運転するしょうたいむ。曲流すだけめのくるま。道路をたぬたぬが横切るなど、徳島のいいところが段々濃くなってきた。

土柱から一時間ほど走っただろうか、大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)という渓谷にある観光施設"West-West"でお昼休憩。大歩危小歩危もとくしま88景。

west-west.com

 

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もみじ亭は、築二百年の古民家を改築した祖谷そば店です。
かつては地元の郷土民俗資料館として利用されていましたが、West-Westのオープンに伴い「本物の古民家で祖谷そばを味わう」というコンセプトのもと、大幅な改築を行いました。 

観光大使しょうたいむさんのおすすめです。

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古民家を改築した店内は、古い柱が全て黒に塗られておりシックな印象。吊るされている独特な形の行燈は外国人デザイナーが制作した作品だそう。時に茅葺き屋根をトタンなど金属屋根で覆う保存は悲惨なことがあるが、ここの屋根は茅葺きの柔らかな印象を損ねないように曲げの工夫がなされているらしく、とても印象がよかった。こうした観光に使われる古建築は、始めこそお金は掛かるだろうが保存の方法にこだわれば結果が伴うのだ。

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祖谷そば(山菜)

祖谷そば - Wikipedia

手打ちそばのポソポソ感もなくツルッと食べられる。麺は短めで素朴な味わい。

衝撃だったのが画像右上の岩どうふ。硬い!木綿豆腐をギュッと圧縮したような硬さなのにちゃんと豆腐の風味があり、舌触りもボソボソしすぎずしっとりとしている。カッテージチーズを固めたパニールだとか、ああいうチーズを思い出させる食感。これは豆腐サラダみたいな和洋折衷料理にすごく合うんじゃないか?

459magazine.jp

岩どうふを食べるためだけに祖谷方面へ行く価値がある。こういう優れた食品が地方に埋もれて失われてしまうのは勿体無いな。世界に広まるポテンシャルがある。

 

少し車を走らせて、平家屋敷民俗資料館に到着。このあたりは壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武士が落ち延びたという伝説のある隠れ里で、家の主人は安徳天皇に従って落ち延びた医者の末裔だそう。

平家屋敷民俗資料館 | 徳島県観光情報サイト「阿波ナビ」

当家の祖先である堀川内記は、安徳帝御典医として治承~養和~寿永の頃まで宮中に仕えたが、平家の都落ちの折、安徳帝を供奉して屋島に逃げのびた。
平家滅亡の後、残党と共に祖谷に入山した堀川内記は、祖谷の山野に薬草が豊富なことに驚き、深山を散策して秘薬を採取した。当地ではこうして医業を庶民に施こしながら、神官も兼ねていたという。

伝承がどこまで信頼できるかは不明だが、戦国時代のころは地方の領主・名主クラスの家がその地域の神官を務めた例が多いので、少なくともその頃から当家が近郷屈指の名家だったことは間違いない。

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幕末から明治のころに建てられた主屋は一般的な茅葺屋根の農家よりも一段グレードの高い建築。

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こちらも立派な土蔵

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主屋の室内は展示室

展示品は江戸時代から戦前までの、この地方の庄屋の生活が垣間見られる質のいい生活雑貨など民俗資料。館内のところどころに生活感があったり、定期的に囲炉裏が使われ茅葺きの除湿・燻蒸(防虫)が図られているなど、ちゃんと"生きた古建築"でとても雰囲気がよかった。ここの入り口で飼われているわんちゃんもかわいかった。

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成人男性二人が 「かわい〜〜💕」と嬌声をあげながら写真を撮っていたのを見た資料館の人が「犬を可愛がってくれたから」と入場料を値引きしてくれたのもいい思い出だ。(値引き目的でかわいがるのはダメだぞ❣️)

 

さて、平家屋敷から車で15分ほどで、やっと目的地に到着。祖谷のかずら橋だ。

祖谷のかずら橋 | 徳島県観光情報サイト「阿波ナビ」

かずら橋の由来は、祖谷に巡行された弘法大師が困っている村人の為に作ったという説や、追っ手から逃れる平家の落人が楽に切り落とせるようシラクチカズラで作ったという説等諸説が残っています。

クリスマスのリースで使うような蔦で谷を渡って架けられた橋なのだが、ワイヤーで補強されているし定期点検や架け替えも行われている。

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遠目から見ると小さいが

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近くで見ると蔦が太くかなり重厚な雰囲気

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足元の隙間が大きく、踏み外しそうになる

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怖がるしょうたいむさん

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橋目当ての女子大生もいた。(しょうたいむさんご撮影)

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橋を渡った先には平家落人が琵琶を奏でたという琵琶の滝が

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滝を撮るしょうたいむさん

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女子大生グループのそばでしゃがんで滝を撮るしょうたいむさん

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谷川に降りて橋を見上げることもできる

 

ここまで徳島駅周辺から車で4時間以上かかっているので、また市街地へ戻るのは大変だ。今回はかずら橋から車で2時間ほどのところにある温泉旅館を予約した。

途中で見つけた美郷の梅まつりに立ち寄る。

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カメラの電池が切れてスマホでしか撮れず

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しょうたいむさんご撮影の梅まつり

梅の木にはあまり興味がなかったが、行って見たらすごかった。興奮。斜面いっぱいに植えられたいろいろな種類の梅の木がとりどりに咲く。あの重く品のある香りが空間に沈んで、日の入りと相まって幻想的な雰囲気に。まさに非現実。桃ではないが桃源郷を感じた。

ひとしきり楽しんで、宿に到着。

misatonoyu.com

ここもしょうたいむさんのおすすめ。吉野川市街地から山を入った場所にあるが、エントランスに薪ストーブがあったり客室も洗練されており、施設が整っていてとても心地よいお宿だ。いいところは山奥でも繁盛してる。

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薪ストーブ

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お部屋

一階のレストランは宿泊者以外も使用できる。ここで仙台出身の料理長が作る牛タン御膳とつけ麺を食べた。牛タンは仙台風の厚切りタイプで、むかし本場仙台で食べたものよりも火の通りや味付けがよくてめちゃめちゃ美味しかった。ぽいち~…。

その後、翌日お仕事があるしょうたいむさんを家まで送って就寝。周囲の環境が静か過ぎて、私の耳鳴りがうるさかった。

 

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今夜

 

‪ドラッグストアのレジで鼻炎薬の精算をしていたら、小・中学生時代の友達を見た。彼が先に私を見つけ、しまったという顔で後ろ髪を掻きながら立ち去る横顔を見た。そんな顔をされなければ私は彼を思い出す努力もしなかっただろう。

名前が一文字違いの縁で中学卒業後も親しくしていたが、高校の卒業直前に彼が引きこもりになって途絶えた。原因は、同じ高校に進学した同級生による虐めだったとも言うし、彼が彼の友人と一緒に山道で起こした交通事故によるとも言う。

私がこの話を聞いたのは成人式の同窓会の席だ。日頃から地元仲間でつるんでいる連中はよく知っていたようだが、私が訊いてもお茶を濁すばかりで詳しくは教えてくれなかった。いつの間にか彼らの間でこの話はタブーになっていたらしい。それもそうか。虐めていたと言われる男の仲良し連中みたいなものだから。

友達は野球部だった。いつも元気なおバカキャラだ。まぁ本当のバカではないのは知っていた。たまに辛そうな表情をする人だった。玉木宏に似た端正な顔で、笑うと目元に皺が出るのが印象的だった。

久々に会った彼はメガネを掛けていた。変わらず黒くて固そうな髪はゲイから見ればモッサリだが一般的な長さだ。定期的に床屋へ行ってるのだろう。元々肌は白い。少し老けたが、相変わらず綺麗な顔だった。ほんの一瞬の光景が鮮明に網膜に焼き付いている。

まるでUMAに遭遇したようだ。呆気にとられてレジ袋要りますか?の問いかけに要りません。と答えてしまい、店員からおつりと商品の入ったカゴを受け取る。顔を見るとその店員も同級生だった。気づかれていないかもしれないが、いつもより真面目な声でお礼を言って、サッカー台にカゴを乗せる。カゴの中のものを鷲掴みにしてそそくさと店を出る。レジに並んでいる間に見つけてカゴに入れたりんごグミを食べる。ドライフルーツのようでうまい。車を出す。

 

 

 

 

 

ツイッターランドで知り合った男の子に手を出して捕まった男の話は止めることにした。

直近で観た映画、“ラ・ラ・ランド”とそれについてのツイッターの反応が印象的だったので、私も感想をブログに書く。(字数がいつもの倍以上になった。)

 

ラ・ラ・ランド(以下“ラ”)観た?どうだった?私はよかった、と思った。いい映画だなぁ、と。けれど釈然としないところがチラホラあって、前評判を聞いて泣く気マンマンで行ったのに全然ウルっとしなかった。ツイッターを見ると概ね好評といった感じで、ははぁさてはアタシ恋愛不感症でそういう繊細な感覚が死んだかと不安になって感想を書くことを躊躇っていた。ところが。

菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね | Real Sound|リアルサウンド 映画部

↑この記事。私がラを観てモヤついた所をすべて上手に言語化している。映画評論家らしい視点で。ただ、めちゃくちゃ口が悪いのでラを人生最高の映画だと思った人にどう映るのか私は知らない。

私も語っていい?ネタバレしていい?しちゃっていいのかな?全部、言っちゃうね。 

 

ラ、“男が作った恋愛映画”感がすごい。女も主人公だと思って観ていると痛い目にあう。ヒロインに自分を重ね合わせて感情を動かしながら恋愛映画を観るタイプである私は、鑑賞後に泣いてない自分に気づいた。彼女は表情も感情表現も豊かだったけれど、果たして生身の人間なのかと思うくらいステレオタイプ的な“女”だった。人間的汚さがない。感情移入しにくい。その感が極まったのが、おしゃれなお家ごはんのシーン。あの「恋人ってこんなキッカケで喧嘩するしこんな感じで別れちゃうよね~」感。ラのシナリオに於ける最も重要なシーンの一つなのに、心に残らない。男が失言して女を怒らせてっていう筋も、「ハハ、見ろよ。男ってこういう時にこんな酷いこと言って意地張ってぜんぶダメにしちゃうんだぜ?バカだろ?笑ってくれよ…。」という監督だか誰だか知らないがこれを考えた男の自嘲みたいだった。女は悪くない風に書かれてるのにはリアリティがないし、おかしい。セックス・アンド・ザ・シティなら怒った女がもっと理屈の通らない事を言いながらテーブルの上の物を掴んでは投げるなどひと暴れして「くたばれ!」と吐き捨ててドアを乱暴に閉めるはず。「あの時は俺が全部悪かったんや…」と自虐的に振り返れるから、卑屈な男にとっては極めて理想的な別れ方かもね。あとね、この“自宅で手の込んだ料理を用意して間接照明でムーディーな夜を演出”はフラグです。悪いフラグ。この後、絶対に激しい喧嘩になってどちらかが部屋を出て行き、残された人の怒り&悲しみとステキなお料理&おしゃれな空間の対比が痛々しいパターンか、折角準備したのにすっぽかされるパターンのどちらか。ハリウッド恋愛映画あるあるかよ。第31回ゴールデンラズベリー賞三冠に輝いた“セックス・アンド・ザ・シティ ザ・ムービー2”で観たサマンサの女体盛りの方が人間味がない?なぁ?悔しかったら大陰唇にワサビが沁みたとか言ってみろ!!ファッキンちんぽでもいいぞ!!やめろ言うな!!ミア!!(追記:女体盛り、1作目の方でした💦)

そう、わざわざ1人舞台を観に着てくれるステキな元ルームメイトの女友達も、見せ場はたった一回のミュージカルシーン…。そして、2人がもう恋人に戻れないことを印象付けるために出てきたあの子も…。ラ、2人の恋愛が主軸であり全てで、周囲の人間については少しも掘り下げない。時には2人の人間性すら。そういうのは無駄と思って排除しているのか?単純に世界観を広げられなかったのか。ストーリーに中身・深みがないというのは監督自身が示していることで、ラストの“もしも”の回想と同じ尺で本編も見せられる。むしろ、あの“もしも”ありきで、“もしものようにうまくいかない場合”を膨らませて肉付けしたのが本編のシナリオなのではないか?と思うくらい。が、ラストの演出はそれだけ力が入っているようで際立って良い。アレが途中でアレを立つのも良い。アレがアレしてアレが合うのも良い。良い〜〜!!ニヤリ、あ〜〜!!となった。あのシーンは誰でも自分の恋愛と重ね合わせられるのではないでしょうか。

で、観終わった後の感動とか高揚を一旦脇によけると、“過去の恋愛を振り返る男の話”に見えてくる。ラストシーンだけでなく全編が回想。女を悪者にしたくないあまりに女を美化しすぎた思い出、或いは男の自虐。悪意を込めて言えば「あの女、ほんまえぇ女やったなぁ…わしが偏屈で不甲斐ないばっかりに苦労させたけど…今は幸せそうでよかったわ…俺もそこそこ楽しくやってますわ…こっちは心配せんと、ご主人と達者でな…( ◠ー◠ )」と。いや、そんな悪意をもった見方をする事もないんだけど、極端に言えば、ね…。女々しくも男に偏った目線で過去の恋愛を語るところに同族嫌悪しているんだと思う。

もうとにかく色々考えてしまう映画だった。よく出来た綺麗な作品だし、音楽もダンスもキャストの演技も本当に最高だったね。地上波で放映したら観ると思う。そんな気分。

 ここまで悪口を書き連ねといてアレだけど、こればっかりは完全に個人の恋愛観と好みだと思う!ラ・ラ・ランド、よかったです!

 

おわり

 

 

 

 

日本の皆様へ

このたび、2017年3月、ここ神奈川国立美術館を皮切りに、北は青森から岐阜、岡山、宮古島を巡る「大ヒモテ展-金と蜜の誘惑-」を開催し、我がヒモテ共和国が誇る至宝の数々を日本の皆様へご紹介できることは、私にとってこの上ない喜びです。

ヒモテの芸術文化は古代モテーナイ時代に萌芽し、ウェーイ人の移動、帝政ツラサ国の支配という動乱の時代を経て、初代王ビンタにより建てられた統一シュラン王国で花開きました。

14世紀、シュラン王国の首都であったゲロは、現在では花の都の別名で知られ、往時の芳しくも色鮮やかな貴族文化を伝える都市として全域が世界遺産に指定されています。ゲロのほぼ中央に位置する歴代ビンタ王の住居__サイゼリア宮殿を改装して造られたズツウィタミ美術館は、一年を通じ多くの観光客を迎える我が国随一の美術館です。その中でも毎年1500万人と最も来訪数が多いのは、親愛なる友人__日本の皆様です。日本の皆様の芸術への関心、知的好奇心、見識__これらに深い敬服の念を禁じ得ません。

日本とヒモテの間には多くの文化的差異があります。人種・言語・宗教・気性...__しかしながら、文化保護に対する情熱という一点に於いて我々は強く共感します。両国は古い文化と新しい文化の融合__あるいは衝突__これがごく小さなレヴェル・単位で発生し、独特の空気層を形成するのです。

奇しくも、本年は日本とヒモテの国交樹立からちょうど126周年に当たります。今より47年前、国交樹立79周年を記念して行われた「ヒモテ彫像展」では巨大なワビ石から彫り出された雄壮なヒモテの彫刻が多くの日本の美術ファンを魅了しました。このたびの「大ヒモテ展」ではこれに絵画を加え、より充実した内容であることをお約束します。

特に、本美術展の目玉である《路上で眠るベロベロ人》は今回が初来日となります。17世紀、4世ビンタ王の妻カエレン妃が、自身の寵愛した宮廷画家シューデンナイに描かせたと伝わり、実に177年の間、玉座の間を彩った風景画です。ビンタ家最後の当主となった11世ビンタ大公はその遺言に、この絵を含む全ての王家財産をヒモテ国に寄贈する代わりに一切の国外への持ち出しを禁じました。それは今日でも原則として守られていますが、今回は我が国と日本国美術館協会との間にある格別な信頼関係と協定に基づき、また両国の友好に資することを期して、遺言を違えての初来日そして初渡航となります。この点においても過去に例を見ない画期的な展覧会であることは間違いありません。

本展覧会が賢明なる日本の皆様の眼を楽しませるとともに、両国の親善と相互理解を深めるものと確信しております。この春、ヒモテの華やかな歴史と文化を日本でご堪能ください。

 

在日本ヒモテ共和国大使 イナイレキ=ネンレー

 

 

 

Ora Orade Shitori egumo

夏休みを挟んだだけでクラスの友人と疎遠になった私を叱ってくれた人は今でも親友だけど、疎遠になったクラスの人はもう顔も薄ぼんやりとしている。ニッコリ笑うだけじゃ人間関係が解決しない人生だ。 

星野源のおこぼれに預かったか、薄顔の私も少しモテるようになった、と思う。褒められたり好かれたりする事の少ない生涯を送ってきましたので戸惑いがある。

見られることを意識して無頓着だった色々なことを少しずつ改める一年にしようと感じた。

昔、美輪明宏が「ありのままの自分を受け入れて欲しいと言うのは畑から引っこ抜いてきた泥つきの大根を『食え!』と相手に突き出すのと同じ。綺麗に洗って調理してから『どうぞお召し上がりください』と言うのが当たり前。」と言った。自分は悪いところを治さないのに相手に受け入れる心を求める傲慢さは改めるべき。

なんにせよ向上心。現状に満足して歩みも思考も止めてしまう努力の放棄は罪。

宮沢賢治の「永訣の朝」が私の夜に沁みた。