読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

マルクの眼

千字一夜

最近の出来事

日常

 

先日、大学時代の友人が結婚した。

ありがたいことにご招待にあずかって、結婚式から披露宴・二次会とフルで参加させてもらいました。都内にある神社での挙式はとてもステキで、神前式に参列するのが初めてだった私はえらく緊張した。

結婚した女友達は、趣味も見た目も私とは違って華やかな美人。なのに価値観が似てて、俗に言う"ウマが合う"って感じ。卒業旅行に二人で海外に行くくらい仲がいい。もう一人女友達を加えた三人で卒業後もしょっちゅう会っている。

そんな関係なので当然 私がゲイなこともご存じだし、実は人生で最初にカミングアウトした友人たちでもある。

親友と公言して憚らない私たちは、学生時代から顔を合わせれば恋愛の話ばかり。あの頃は男運のなかった彼女が、今 高砂席で優しそうな新郎に微笑みかけている。

私は嬉しかった。そして同時に、今までのように会えなくなる寂しさや、今後も友人がこうやって次々に結婚していき、既婚者特有の悩みやライフイベントを経て、独身の私から離れていってしまうのだろうと感じた。お酒がすすんだ。でも、これってよくあるゲイ(あるいは独身女)の悩みだな、とも感じていた。

朝、7時15分に家を出て、9時から友達と原宿のヘアサロンで髪をカット。終わって式場の入り時間までスタバで朝ごはんを食べ歯を磨きネクタイをしめてご祝儀を確認して…と慌ただしく過ごし、披露宴の頃には疲労in'。

絶え間なく注ぐシャンパンと日本酒とビール。目の前には幸せそうな新郎新婦。愛しさの意味を知る。However,私の背中には業。

同じテーブルの、初めてお会いする新婦友人たちには私のことが知られていた。「あ、めのさん!?」の一言に嬉しさよりも戸惑い立ち止まる。う〜。ゲイバレしているのは別にいいんだけどね、これもゲイリブよ。でも彼女らは私の仕事の話に食いついた。20代にとっては珍しさが「私の職業>ゲイ」なんだね。

そんな訳でゲイを隠す必要もなく、幸せオーラとアルコールにやられた私は、新郎友人のイケメンを眺めながら「眼福だな〜」と呟いていた。二次会のゲームでは眼福さんの名前を聞き出し、ノリに任せて一緒に写真撮ろうとしたら酔っぱらいのせいで失敗したり、新婦友人たちと一緒に新郎友人を値踏みして遊んだ。今後も結婚式ではこうやって時間を過ごせるな…と思い、オープンゲイでよかったと思った。よくない。

 

 

 

 

眠さと悲しさとお天道さん

思ったこと

 

いつからだろう、眠気に包まれた身体が悲しみや不幸と結びついたのは。温かい布団でまどろむ時間が幸福に満ちていたのはいつまで?考えてもしょうがないことを考えている。どうせ二次性徴だろ、知ってるんだから。

私という人間の煮詰まりを感じる。煮詰まるっていうのは、本来は料理として完成に向かっているということだから、会議の終盤で内容がまとまりかけてる段階などを指すらしい。私の人間性に於ける意味もそれを採用したい。ただ、味付けが濃すぎて体に悪そうな感じがする。焦げかけてる。つらい。

精神的に安定していて、穏やかで、清廉で、博識で、社交的で…という人間として完璧に近い状態を仕事で求められている。まぁその列に加わらないような人間も我々の業界には多かれ少なかれ存在するのだけれど、そういう人間的にダメなところを「人間味」という分厚い言葉のオブラートに包んで肯定してはダメなんだよね。終に善人になれなくても、善人になろうと努力するのと最初から放棄するのは全く違う。これに関しては完全に結果でなくて過程の評価だと思う。結果だけの評価としたら、どうせ死ぬのに云々と人殺しすら肯定できてしまうし。

すぐ話を逸らす。私は私の仕事上のことをペラペラと人に話すのは信条に反するので具体的なことは家族や恋人にさえ言いたくないんだけど(そもそも理解されないし)、それがストレスとなってるのが先日ハッキリ浮き彫りになった。そのストレスを生け捕りにして業務用ミキサーで粉々に砕き、形が分からなくなった頃にブログやツイッターなどで少しずつ撒いてるのが今の私。ストレスの死体遺棄をしてるんだ。

私はあそこに羅生門よろしく死体をそのままの形で捨てるほどの勇気はないし、あそこは神聖だし、痛い目にあいたくないし。ツイッターを辞めていた間はこういうストレスを身近な人たちにぶつけてたのかと思うととても申し訳なくなる。

天皇の退位について有識者からヒアリングを行なったとの報道。有識者の一人、東大名誉教授の平川が「ご自分で拡大定義された天皇の役割を果たせないから退位したいというのはおかしい」と言った。私は自分で定めた仕事上の理想にあまりにも届いていない現実が心苦しく仕事を辞めたいと思うことがあるので、自分のことを言われたように感じて息苦しかった。自由な立場の私ですらこうなら、陛下は尚更のことだろう。

 

 

リトル宇宙が走る夜

日常 思ったこと

 

自分のことが好きな人をぞんざいに扱うのって独占欲の裏返しなのかな?好きな人に意地悪するのはなんだろうな?人間って難しいな。

上記じゃあないが、東京タラレバ娘の最新刊(今日現在)の巻尾の相談コーナーに、「自分のことが好きな異性は多かれ少なかれキモく感じる」という言葉があって、それを読んだ私は「あ〜〜」と声を出した。好きな人には好意を示したいと思っているので(恋愛に限らず)、その好意が相手から疎まれてるように感じることがある。或いは好意の表現方法がおかしい?どちらにせよ、よく分かってない時点でアスペ気味でやばい。

 子どもじみた態度をとるのは止めたい。身近に倫理的にぶっ壊れた人間がいないのでストレスもそう無いはずなのに、なぜか今ひとつ現状にしっくりとこなくて、私だけが段々ぶっ壊れていってるような錯覚がある。表面上社会人として暮らせているのに内部崩壊してるようで怖い。ほんとは平穏平坦平凡な社会人生活なんて望んでなかった?まさか…。

なんか色々やばいと思って、初期仏教の本を読んで心を整えようと思っているのに見つからない。仕方がないから論語を読んでるけど難解すぎたので、マンガで読む論語ってやつを読んだ。不快なことは書いてないので精神衛生にはよいけど、大衆を苦しみから救おうという目的で書かれてない(そもそも孔子自身が苦しみながら試行錯誤してる)から、実践してどうなるの…?って気持ちがある。これを書いてる間に、銀座線の中でまた善人ぶった。イケメンサラリーマンには目を奪われる。ただただ欲深い。只管に自分との戦い、人生は禅なのかもしれない。

 

私は

日常

25才になった日に恋人と別れ、またツイッターに浸かっている。フォローもフォロワーも少なくてストレスも少ない。持たない寂しさというのはいつでもあって、ついつい埋めたくなってしまうものだけど、ないほうが心は静かだ。恋人がいない苦しみより恋人と上手くいかない苦しみのほうが深いと思った。また釈迦の言った通りだね。

元がついた恋人と別れた顛末も原因ももう言いたくない。愛情も悪感情もない。別れた直後は口汚く罵ってしまいたかったけど、私は善人ぶりっ子を辞めたくなかったし、どんな形であれ彼を傷つけたくないとも思った。二度と会う事はなくてもだ。気持ちの整理がついた今は尚更。

私は果てしなく感じられる自分の人生の逃げ道を恋人という存在に求めているだけで、人生を自分で切り開く努力を放棄していたのか。これからは好きな人ができても、一度立ち止まって考えよう。明るい未来よりも暗い未来を想って、人と付き合う事を控えよう。死を想え、死を想え。人様にメメントモリなんてあだ名を付けてる場合じゃないぞ。

折角年をとったので、一つ頑張ろう。

人と会う頻度が低く、仲のよい友人でも年に二回程度しか遊ばないことがザラなので、少しずつそれを改めたい。

 

デブニモナラズ

症状

 

デブニモナラズ
リニモナラズ
Tシャツ一枚デ様ニナル
ソコソコノ身体ヲモチ


慾ハナク
決シテ皮肉ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル


一日ニビタミンヲ二錠ト
プロテイント少シノコラーゲンヲ飲ミ
アラユルヒトニ
ジブンノカンジョウヲ見セズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

都心ヲ少シ離レタ町ノ
小サナタイル張リノマンションニヰテ


東ニ病ンダゲイアレバ
LINEデ「大丈夫?今度飲ミニ行コウネ」ト声ヲ掛ケ
西ニオ祝イ事アレバ
Facebookデ気ノ利イタコメントヲ残シ
南ニ批判カラリプアレバ
DMデ怖ガラナクテモイヽトイヒ
北ニヲタクヤDQNガアレバ
楽シソウダカラ交ゼテクレトイヒ


トリノヨルハナミダヲナガシ
ヤスミノヒニハウロウロアルキ
ミンナノ飲ミ会ニヨバレ
ホレラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

 

雑稿

思ったこと 日常

 

トライアル・アンド・エラー

先々の生活について考えている。元来ネガティヴな性分で、高校の時分からリスクの少ない安定した生活を求めていた。結果として、17才の自分が描いた未来予想図にほぼ忠実な生活を過ごしている。もしそうなれなかったら25才までに死のうとも思っていたので、今年は無事に誕生日を迎えられることに感慨がある。「リスクの少ない生活」を得るため、試行錯誤したことや、必要なスキルを身につけたこと。これは今の自信に繋がって自己肯定感を養えた。虚空を漂う生活よりも地に足をつけ自分で引いたガイドラインを辿る生活の方がどれだけいいか。言い換えれば、シナリオの見えない未来に進めない。もっと話そうよ目前の明日のことも〜。リスクを計算できないものに恐怖を感じる。

 

仕事・生活・SNS

仕事の忙しさがまた1つのピークを迎え、休みの少なさと疲れで睡眠時間があまり採れなくなった。本番に向けた気持ちの昂りもあったのだろうか。当然、精神にも変調を来した。

話が前後する。忙しさが激しくなる前、断続的に忙しい時期があった。暇な時間は、まとめブログを読んでいた。そのうち、ニュースに対する2ちゃんねる以外の世間の反応を見たくなった。そしてウェブ漫画の更新状況も知りたい。で、ツイッターを再開した。ちょっとしたことから、考えなしにゲイもフォローした。結局、自分は以前のように呟けないし、呟きたいこともそんなにない、と思い知らされて惨めな気持ちになるだけだった。

そんなころ仕事由来の精神不調が重なってしまったので、楽しみだったニューアルバムも忘れるほど悪感情に満ちた。


Sia-The Greatest(feat.Kendrick Lamar)のMVについて

先日友人に会った時、Siaが新曲を出したことを教えてもらった。YouTubeで公開されてから2週間ほど経っていたのに気がついていなかった。うーん不覚。

早速、家に帰って観た。なるほどね〜。シュチュエーションがChandelierと被ってるし、ダンスも今までと同じようだし、なんだかなぁ、と思った。はっきり言えば期待はずれだ。対して曲はすごく好みで何度も聴いている。

が、今日改めてMVを見直して見ると、すごい。私はとんでもない思い違いをしていたのでは?同じような部屋や同じ振り付けは過去のMVとの対比と、時間が未来へ進んでいないことの暗喩。つまり時間軸が閉じた世界=主人公の少女の精神世界(夢想)の中ということなんじゃないか?曲が始まると死んだ人々が起き上がって檻から放たれて踊り、曲が終わるとまた動かなくなる。檻は閉められたままだった。という陰鬱な夢オチ。調べたら、ゲイ向けクラブでの銃乱射事件がこのMVの題材らしい。ゲイの死人は檻から出られないままってこと。後味ダンサーインザダーク級か〜。

 

宇多田ヒカルはコンテンツじゃない

宇多田ヒカルの復帰作、Phantom。あんなに楽しみだったのに、ポジティブな気持ちの命は短い。今朝になってやっと手に入れて、「花束を君に」を初めてちゃんと聴いた。は〜〜。新幹線の中で人目も憚らず号泣した。

私の中で宇多田ヒカルはよく言えばヒットメーカーで、ジュークボックスみたく都合よく我が恋愛に投影できるいい曲を流してくれるモノでしかなかった。「花束を君に」を聴いて、初めて「歌手 宇多田ヒカル」が人間だったことを知った。あれは宇多田ヒカル藤圭子の関係の上にしか成立しない歌だし、歌詞に共感するというよりも理解するものだと思う。宇多田ヒカルの歌にありがちな普遍性がかなり排除されてる。下手に我が身に落とし込めない分、母への愛情に素直に泣けた。だけど私のお葬式が始まる前にも流して欲しいと思ってしまうんだ。

 

Mother Mary comes to me.

仕事場で掃除をしているとき、天啓があった。「人を傷つける事を言わなくても生きていける。」本当にパッと脳に浮かんできた割に納得がいかず、反射的に否定しようとしたけど合理的な反論ができない。なんで人を傷つけたり揶揄する事が普通になってしまったんだろうか?

そもそも人は何を言っても変わらないから人と意見を対立させること自体が無駄なのでは。違う価値観を持った者同士が分かり合うには、対話を重ねてお互いの妥協点を探るしかないと私は思っていたけど、妥協し合うのではなくて黙って我慢し合う方がいい人もいるようだ。なら初めから価値観の違う人には近づきたくないし、価値観共有できる人と出会うしかない。

 

これまでのこと

試行錯誤も仕事もその他もろもろ、私がスタミナをつけるために役に立っている。タフになった私は次の山を越えられると思う。私にとっていい人でなかったとしても、誰かにとっては愉快な仲間だろうから、個々人間の関係に他人が口を出すのは野暮だ。そのままにして欲しい。

 

そして今

四国は香川県高松市アパホテルにいる。二日間だけのバカンスだ。昨日の夜に思い立って、新幹線の切符は発車の7分前に買った。

昨晩、両親と近くにできた居酒屋に飲みに行った。両親と私の関係も最近だいぶ変わってきている。自分が考えている人生プランを初めて話して、具体的なお金の話もした。怠け者な私が毎日働く理由がまたはっきりしてしまった。まだまだ貯金しなきゃな〜〜と改めて思った守銭奴なのであった。

が、忙しいからこそたまに息抜きしましょうと、この旅行。朝昼晩とがんばってますし、一度きりの人生ですもの。苦しみから解き放たれた。このまま仙人になりたい。香川も金刀比羅宮もサイコーです。

f:id:menono:20161001230341j:image

 

toilet&sex〜リスク〜

日常

 

トでセで有名な所にまた行ってみた。

私が兄と慕う阿久津さんと、プライドを捨ててセックスをしようねと誓いあったので(危険な要約)、それを実行しにきたのだ。

しかし私、自分からナンパしたこともないし(されたこともないけど)こんな所で声をかけるなんて出来ない!怖い!いちまつみたいにセフレと来たかったよ。

ここからは不愉快な話なのでザックリと省くけど、6人くらいのお仲間が誰もアクションを起こさずに牽制しあう場所で30分くらい無駄に過ごし、蚊が多くて早く帰りたかったので(そのまま帰りもせずに)、隣の人に声をかけてオッケーを貰った。ここで断られたら気が狂ってたはずだ。

2人で場所を変えようとしたら、後ろからついて来る人がいる。逃げても巻いても追われる。自分から声をかけもしないクセに他人の情事に関わろうとするその魂胆!ゲスの極み!完全に興が削がれた。

気持ちが萎えたことをオッケーをくれた親切な人に伝え、謝って帰ってきた。その夜はそれで終わり。

翌日、ああいう所って公開してナンボなのでゎ?むしろ周りも当人もそれを期待してあそこに集うのでゎ?と思い、反省した。オッケーくれた人に申し訳ない。そりゃそうだろうね…。

 

やっぱりセックスするだけなら複数のセフレと交代で自宅などでする方式が一番あと腐れがなく安全な気がしますね。病気や身バレのリスクも踏まえて。

問題はその関係をどう築くかということだ。友達を減らしてセフレを増やす焼畑農業みたいなことはしたくない。「セフレも友だちも多い人」のサンプルを持ってないのでどうするのか分からない。システムとハードがあってソフトがないんだ。誰か私にソフトをインストールしてくれ。

とりあえずダイエットするし筋トレも続けて、何かに備える。